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(GMT+08:00) 2004-08-11 16:19:12    
とう小平と中国の改革開放

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 今年の8月22日は、中国の元指導者とう小平氏生誕100周年の記念日です。中国第二代の指導者グループの核心として、とう小平氏は中華人民共和国の創設者毛沢東氏と共に人々に尊敬されています。とう小平氏は中国の改革開放と近代化建設戦略の総設計士で、彼が実施した一連の改革によって、中国経済は20年間以上連続して9%を超える成長率で発展しており、経済総量は四倍以上に増えました。

 1978年12月、中国共産党中央全体会議で、とう小平氏が打ち出した改革開放政策が党の政治綱領として定められました。それから、改革開放と社会主義近代化建設を中心とした「とう小平時代」が幕を開けました。

 中国農民の人数は総人口の80%を占めており、農民の衣食問題が社会の安定に直接関わっていることから、とう小平氏は改革の起点を農村に決めました。1978年、とう小平氏は土地を農民に請け負わせるという「画期的な改革」を農村で行い、農民たちの積極性を引き起こしました。それによって、食糧生産高は年ごとに増加し、農民の衣食問題は大きく解決されました。

 その後、とう小平氏は改革の重点を都市に移し、より深い制度面で経済体制の改革を推し進めました。特に計画経済を商品経済と対立させる伝統的な考えから抜け出し、全面的な改革に新たな理論的な指導を与えました。所有制の面では、単一の公有制の局面が変えられ、公有制を主体として、いくつかの所有制がともに発展する局面が形成されています。とう小平氏の主張と決断にしたがって、中国共産党は社会主義市場経済体制の設立を改革の主な目標とし、大きな進展を遂げました。

 中国の対外開放と言えば、多くの中国人は20年余り前に、沿海地区で現れたいくつかの経済特別区を思いつくでしょう。それもとう小平氏が推し進めた対外開放の重要な一歩であり、国外の資金や技術、管理経験を利用して、社会主義経済を発展させる新たなテストでもあります。

 中国の南部、香港と隣接する都市深圳は1980年代の初めごろ、まだ立ち遅れた漁村でしたが、とう小平氏の提議で、中国初めての経済特別区と定められました。それから、ここは対外開放と外資導入の窓口、および中国改革開放のテスト拠点となりました。20年間余りを経て、深圳は小さな漁村から、中国で一人当たりの収入が最も高い近代的な都市に成長してきました。

 対外開放でもう一つ重要な都市上海の人々も、とう小平氏に深い思いを持っています。改革解放後、中国初めての外資プロジェクトーー上海宝山鉄鋼工場は鄧小平が訪日したときに、契約を結んだプロジェクトでした。上海開発の戦略の実施に伴って、数十年前アジアで最も繁栄した都市はまた昔の輝きを取り戻し、中国における外資の集散地と、中国東部最大の工商業都市となりました。

 今、中国はWTO・世界貿易機関に加盟し、外交面では、国連安保理の常任理事国として、国際実務で独特の役割を果たすようになりました。これはすべて対外開放戦略の実施による成果です。とう小平氏の改革開放に関する理論と実践によって、中国の特色のある社会主義近代化を順調に推し進める道が見つかったと言われています。