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中日友好を支えてきた日本の友人たち
   2008-05-07 19:00:36    cri

 西園寺 公一(さいおんじ きんかず、1906年11月1日生まれ 1993年4月22日没)は、神奈川県生まれの政治家である。1930年オックスフォード大学を卒業。参議院議員、外務省嘱託職員、太平洋調査会理事などを歴任。民間大使の異名をとる。1967年、家族とともに中華人民共和国へ移住、日中文化交流協会常務理事として北京で国交正常化前の日中間の民間外交に先駆的役割を果たした。

 

 宇都宮 徳馬(うつのみや とくま、1906年9月24日生まれ 2000年7月1日没)は、東京生まれの政治家、実業家である。1928年京都帝国大学経済学部入学。参議院議員、衆議院議員を歴任。ミノファーゲン製薬の創設者でもある。日中友好協会会長、名誉会長を務め、軍縮活動、日中友好に尽力し、平和共存外交、日ソ国交回復や日中・日朝の国交回復を主張訴えた。

 松村 謙三(まつむら けんぞう、1883年1月24日生まれ 1971年8月21日没)は、富山県福光町(現在の南砺市)出身の政党政治家である。1906年早稲田大学政治経済学部を卒業。衆議院議員選挙に13回当選し、厚生大臣・農林大臣・文部大臣を歴任した。日中友好の功労者としてその名は今も語り継がれ、日中友好、日中国交回復に尽力。日中記者交換協定を締結した際の日本側代表者の一人である。

 岡崎 嘉平太(おかざき かへいた、1897年4月16日生まれ 1989年9月22日没)は、岡山県生まれの実業家。日中国交回復実現に多大な貢献のあった経済人である。1916年に高校に入学してから中国人留学生たちとの交流を深める。1922年東京帝国大学法学部を卒業、日本銀行に入行。1939年日中合弁で設立された上海華興銀行に理事として転出する。1942年、大東亜省参事官となり、翌1943年には上海大使館参事官として再び中国に戻る。終戦後は中国当局との交渉に努め、日本人の引揚げに尽力した。1946年帰国。1968年以降は日中覚書貿易事務所代表として訪中を重ね、1972年の国交回復にあたっては周恩来首相から特別招待を受けた。その後も日中経済協会常任顧問として日中貿易に携わり、生涯に訪中した回数は101回に達した。

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