中国国際放送局 王小燕
1984年の夏。11歳の私は,安徽省南部の小さな町で,大勢の人と一緒に白黒のテレビ画面に釘付けになっていた。汗ばむ夏の匂いが,今でも鮮明に蘇る。
テレビが普及し出したばかりで,少し前まで『おしん』や山口百恵のドラマが大ヒットしていた。が,夏休みになると,新しい話題に町は沸きたった。新中国が初めて選手を送ったロサンゼルス五輪だ。実況中継で全世界の人と同じ画面を見ているとは言え,ロサンゼルスは果てしなく遠い町のように感じた。安徽省出身の射撃選手.許海峰さんが中国に初の五輪金メダルをもたらし,地元の人間として実に誇らしかった。
あれから24 年。今度は,中国がホスト国になる。19年前から,北京で暮らすようになった私は,今度はホスト都市の一市民として,大会をこの目で見,この身で体感できる。夢のような出来事で,本当に嬉しい。
北京の町もみるみる変貌してきている。その変化は,目に見える部分にだけでなく,人々の生活スタイルや物事の考え方にも現れている。4月から始まったこのコーナーでは,生活者の視点から,皆様に最新の北京をご案内したい。
「鳥の巣」か「帽子」か
最初はとにかく驚いた。イメージ写真は飽きるほど見ていたのだが,実物のインパクトに息を呑み,言葉を失った。あまりにも巨大だった。反射的に思い浮かんだ言葉は,『鳥の巣』ならぬ " 一?乱麻"( 絡まっていてほぐれない麻のよう) だった。何重にも入り組んだ図太い鉄骨構造。圧倒されて,何だか気持ちの整理ができなくなるほどだった。そのすぐ隣は,蜂の巣のようなぷくぷくとした泡で覆われた真四角の立方体が建っていた。同じく意表をつく奇抜なデザインで,「なるほど,道理で水立方(「ウォーターキューブ」)と呼ぶのだ」。十分納得できた。これが,私が北京五輪のメインスタジアム."国家体育場"( 愛称「鳥の巣」) と" 国家水泳中心"(愛称「水立方」)との初対面だった。
今度は少し離れたところから,もう一度眺めて見た。と,意外な発見があった。大きな帽子に見えたのだ。それも普通の帽子ではなく,中国で皆に好かれている「済公和尚」の帽子だった。杭州の霊隠寺で出家した南宋の僧侶.済公は,自由奔放な性格で,お茶目なことばかりする生き仏,トレードマークは馬蹄銀の形をした布の帽子。21世紀に建てられた五輪競技場の前で,千年前の済公和尚が不意に蘇ってくるとは,我ながら微笑ましい。
歴史の脈動が伝わる
地図と模型図を手にじっくり眺めてみた。古代の北京城の中軸線は,天安門広場から北上して,故宮や鼓楼,鐘楼の真ん中を通って,元王朝の大都の城壁を横断して,ここ,オリンピック公園センターエリアに入る。天安門から19 キロ北にある中軸線の両側に,「鳥の巣」と「水立方」が鎮座することになった。オリンピック公園を南から北へとつなぐ運河が「鳥の巣」の東側を流れている。その水は中南海,北海,什刹海,後海などの古来の水系とつながりつつも,現代的で奇抜な外観の巨大建築群を貫く恰好だ。歴史に対する尊敬の念が脈々と流れているようにさえ感じられる。工事現場のスタッフに尋ねると,「"天?地方(天は丸いもので,大地は四角いもの)" という中国の古代の考え方を具現化している」と,誇らしげだった。
つまり,円形に対しての四角。ハードな鉄骨構造に対してのソフトな水の泡のフィルムで覆われた構造。陸上競技に対しての水中の競技。ライトアップの色も,片方は真紅の椅子にいや増して映える,「栄えて景気が良い」象徴である真っ赤を使い,もう片方は落ち着いたブルーの明かりで演出している。採用されたデザインには,中国の伝統文化にある陰陽説が滲み出ている。
思いと夢で編み上げる
2001年の夏。7月13 日の夜,北京中が沸騰した。北京の2008 年五輪の誘致成功が発表されるや否や,私の耳に大きな唸りが響き渡った。放送局のビル全体からの歓声だけではない,窓の外は車のクラクションが一斉に鳴らされ,爆竹の音が聞こえてきた。地下鉄の中は溢れんばかりの人出。向かう所はみな天安門広場だった。見知らぬ人と誰彼の区別なく,同じことで喜びを分かち合ったのは,私にとって初めての体験だった。
あれからあっという間の7 年だった。この間, 北京の街角には, にょきにょきと新しい競技場や施設が浮上した。最初は見慣れない奇抜なデザインも, 皆の思いと夢が託されているだけ, その完成に伴い, 新しい北京の町の有機的な一部になりつつある。
今から静かに待ちたい。8月8 日夜8 時8 分の到来を。
(『NHKラジオまいにち中国語』2008年4月号より転載)
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