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<私と五輪>CRI日本語部・吉田明 
   2008-02-01 09:41:03    cri

仙台生まれ。朝日新聞記者を経て、2005年夏から日本人専門家として北京放送勤務。

 机の引き出しに、1000円の記念銀貨と記念切手が入っている。あの年、東京五輪が開かれた1964年、朝早くから行列して手に入れたのを覚えている。将来は値上がりするかもしれないぞ、そんな噂もあったが、いまだに手元に残っているところをみると、さしたる価値も生まれなかったのだろう。私と五輪のささやかなつながりである。

 冬季大会も含めれば、アジアで5度目となる今年の北京五輪。勝敗の結果は別として、北京っ子はどんな思い出を刻むのだろうか。

 東京五輪が開かれたころの日本は、第2次世界大戦後の復興から高度成長に向かうそんな時期だった。いまの北京と同じく、あちこちの道路が補修され、高速道路が建設され、東京は埃っぽい街だった。地下鉄工事も重なり、交通渋滞に拍車がかかった。新幹線が開通したのもこの年だ。

 街はお祭り気分だった。「東京五輪音頭」の歌が町中に流れ、これには踊りの振りがついていた。当時、大学生だった私は、ははーん、世界からお客さんが来るんだということは分かり、もし外国人に会ったら「こんにちは」くらい言ってみようと思っていたが、そんなチャンスは一度もなかった。

 オリンピックでくっきりと覚えているシーンは三つある。開幕式の10月10日は爽やかな秋晴れだったこと。女子バレーがソ連を破り、世界の頂点に立ったこと。そして閉幕式。奇をてらう演出は何一つなかったが、国を超え、民族の違いを超え、騒然とした中にも人間味あふれる入場行進が繰り広げられた。

 北京は27回大会をシドニーと争って破れ、二度目にして手に入れたホストの座だ。実は東京も1930年の12回大会の誘致に成功している。しかし、不幸な戦争の時代、世界から相手にされるはずもなく、開かれることなく終わった。東京大会は30年ぶりの悲願達成だったのだ。

 その後、10月10日は日本の祝日に加えられた。8月8日は中国に何を残していくのだろうか。

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