日本訪問には、一晩のホームスティがありました。初めての日本、初めてのホームスティです。
26日に島根県松江市でホームスティをした周哲さんは、長春市から参加した高校2年生です。黒縁のめがねをかけ、細身で、ピアノが上手です。外国語は英語しかできません。
ホームスティをした家は、見学した高校の2年生の家庭で、子供二人の四人家族です。お父さんは、電気関係の仕事をし、お母さんは主婦です。そして、14歳の妹さんはピアノが上手です。この日の夕方、この家庭は、周さんを迎えるため、わざわざおばあさんとおばあさんを呼び、7人で中国のしゃぶしゃぶに似たすき焼きを食べました。
話し合いは、一つの単語にしても、何回も繰り返したり、ときにはペンで書いたりする具合で、皆が一苦労したようです。例えば、「長春から来た」というフレーズでも、いくら説明しても通じず、ペンで書いてやっと通じたということです。周さんにとっては、通じたときの、おじいさんの笑顔が一番印象的だったということです。
だった一晩でしたが、周さんは、みんなと一緒にいろいろな楽しみました。「妹さんは4歳から10年間ピアノを習い続けていて、とても上手です。二人で一緒に『夢のウエディング』という曲を引きました。それから、中国の歌も一緒に弾きました。朝、お母さんは、地元で最も有名な貝のスープも作ってくれました。とてもおいしかったです。翌日、ちょうど土曜日で、お母さんとお父さんは、8時に、私を入れて3人の子供を連れて、松江までドライブして、遊覧船で1時間ぐらい回りました。それから、店に行きました。お母さんは、片言の英語で、『あなたと、お母さんお父さんへ』と話し、私の分だけでなく、私のお母さんとお父さんの分まで買ってくれました」と、ホームスティ先の行き届いた思いや暖かい気持ちに心が打たれたことを語りました。
「集合時間が10時なので、店を出てから、車で学校に向かいました。途中から、お母さんが泣き始めました。私は涙が出ないように我慢しましたが、学校に着き、車から降りるとたんに、涙があふれて止まりませんでした。走っていく車に向かって、ずっと手を振りました。おかあさん、おとうさん、さようならって。車が見えなくなっても、泣きながら手を振り続けました」と話す周さんは、「日本に来て一番胸がいっぱいになった日でした。ホームスティを通じて、日本人も中国人と同じ、情けを重んじていることが分かりました。この日本の友達と、Eメールアドレスを交換したので、帰国してからも連絡を取り続けていくつもりです」と、話しました。(文 朱丹陽)
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