北京を立って、6時間、ひたすらバスに揺られる旅でした。錦州は2200年の歴史を持ち、古くから皇室用の絹織り物を生産したことから、錦州という名前がついたといいます。
現在、錦州を始めとする遼寧省の沿海部の五つの場所を選んで、『五点一線』と呼ばれる大型の経済開発プロジェクトが進められています。そうした新しい波による急速な開発が進められている中、昔ながらの製法を守り続け、中国でも指折りの名酒を生み出す酒造会社が錦州の街なかにあります。今回の旅は、『5点1線』を取材する前に、この造り酒屋『道光廿五』集団会社を訪ねることから始まりました。ここは、創業200年の歴史を持つ東北三省ナンバーワンの白酒(バイジュウ)メーカーです。この工場の敷地に一歩足を踏み入れると、敷地内には重厚な感じを与える石造りの建物群が並び、それらの内部には、出荷を控えた完成品や熟成中の大きなカメが並んだ建物などがあります。中でも目を引いたのは、原料の高粱(コウリャン)から石臼、さらに高粱を蒸して発酵させる室、精製した酒を取り出す装置、そして熟成するためのカメが並んでいる場所でした。それぞれの場所で従業員が作業をしている室内には、発酵した高粱と糀の甘い匂いが充満し、その匂いを嗅いだだけでも酔いそうになるほどでした。
また、別の場所には、今から十年ほど前の1996年に、かつての工場敷地から発見された1985年製造の白酒が四つの大きなカメに納められていました。勿論、それを試飲する訳には行きませんでしたが、代わりになんと44年前に製造された白酒を小さなカップで試飲させてくれました。その味はといえば、わずかな量を口に含んだとたん、60度という強い酒が一気に口の中に広がったものの、強く刺激することもなく、喉の奥にスムーズに落ちていきました。強い酒でありながら、これほどスムーズに喉元を通っていった酒は、これが初めてのような気がしました。それは、1845年製の酒なら、さぞかしとおもわせられる濃厚でふくよかなものでした。
この錦州の白酒も、清の時代の皇帝に献上するために作られたといわれています。取材に答えてくれた会社の役員、孫淑君さんは、これこそ国家級の『液体の文化遺産』だと誇らしげに話していました。
開発による近代化が進む一方で、こうした酒が、地道に作り続けられていることを実感する美味しい取材でした。(文章:満尾 巧)
|