馬鞍山市については、「長江(揚子江)のほとりにある鉄鋼の町」と、中学校の地理の時間に習いました。
1956年にできたこの町は、新中国成立後ずっと、「華東地区の重要な工業都市」というイメージが強かったのです。しかし、今回の取材で、初めて馬鞍山を訪れ、この町のいろんな表情を垣間見ることができました。
地元政府関係者が最初に案内してくれたのは、「采石磯」(中国語ではcaishiji。「磯」は、川に浮かぶ島のようなものをさす)という観光地でした。
早速、ガイドに案内され、「采石磯」を散策しました。ここは、唐の詩人・李白が愛した場所で、李白はここで50首近い詩を詠みました。よく親しまれている「望天門山」もここで詠んだそうです。
李白はお酒が好きで、酔っ払って月を捕まえようとしたところ、長江に落ちて死んだと言われていますが、それもこの場所だったようです。李白とこれほどゆかりのある場所だったなんて、初めて知りました。
さて、「采石磯」観光を終えバスに向かおうとしたとき、地元政府の広報担当者が、同行していた日本人スタッフに、「日本からいらしたのですか」と声をかけてきました。
聞けば、この町には毎年、李白のファンが日本から沢山訪れているのだそうです。特に、毎年行われる詩吟祭には、東京詩吟学院の皆さんが参加しているそうです。その担当者は、「日本の皆さんは、中国人より李白のことを敬っているようですね」と、しみじみ話していました。
詩吟祭とは「馬鞍山国際詩吟祭」のことです。1985年、「采石磯」で中国・日本李白詩歌研究会が開催されたのをきっかけに、1989年からスタート。以来、毎年旧暦9月9日に行われています。
なお、「馬鞍山」という地名ですが、有名な伝説「覇王別姫」が由来となっています。項羽が自殺した後、彼が乗っていた馬も長江に飛び込み、後を追います。その馬がつけていた鞍がこのあたりまで流れてきて、山となったという言い伝えがあります。そこで、「馬鞍山」という地名ができたのだそうです。 (文:朱丹陽)
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