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中国の国技ーー卓球
   2006-04-24 14:54:04    cri
 (一)はじめに

 いまや中国の国技ともいわれる卓球。20世紀半ばに新中国が国際大会の舞台に姿を現して以来、先人たちのたゆまぬ努力によって、いつしか中国は世界一の卓球王国となった。そして長きにわたり、今も世界のトップを走り続けている。そんな中国で卓球がどのように発展してきたのか、卓球史に残る様々な名場面を振り返りながら、中国卓球の歴史をシリーズでたどっていく。

中央が容国団選手

 (二)中国卓球のあけぼの

 1953年3月、中国卓球界の歴史がこのときから始まる。新中国建国後、初めての国際大会出場を果たした第20回ルーマニア世界選手権。しかしこのときは、当時、全盛を誇っていた日本、そして欧米諸国の影に隠れて、中国は全く目立たない存在であった。団体戦は、男子が甲(上部リーグ)ランキング10位、女子が乙(下部リーグ)ランキング3位。個人戦では3回戦以上に進んだ選手は一人もいなかった。だが、球史に残る一コマである。

 1956年4月、第23回東京世界選手権は初めて日本で行われた世界選手権である。当時の日本代表、角田啓輔は「この大会、中国勢が参加していることは知っていたが、彼らのプレー自体に特に印象はなかった」と当時を振り返る。この大会、中国男子は甲ランキング6位。女子が甲ランキング11位と前回よりも成績は向上した。

 「あまり目立たなかった」という中国勢だが、大金星も成し遂げている。イギリスとの団体戦で、姜永寧が、これまで2度、世界チャンピオンとなったことのあるリキーを破ったのだ。姜永寧と中国チームは、初めて世界チャンピオンを破ったことで、中国卓球史に名を残した。

 1957年第24回スウェーデン世界選手権。ここで中国勢は一気に世界の注目を浴びる存在となる。男子チームが3位に躍進したのだ。この大会から、世界選手権はそれまでの毎年開催から2年ごと開催へと移行する。

 そして1959年、歴史的快挙が達成される。3月20日からドイツで行われたドルトムント大会。この大会、中国のエース、容国団が個人戦シングルスで快進撃を続けていた。あれよあれよという間に決勝進出。その決勝の相手は、当時の強豪ハンガリーのベテラン、シドー。もちろん、メディアも含めて、誰もが容国団の勝利を予期していなかった。ハンガリーの選手たちが、チームメートの優勝を祝うために、脇には花束まで準備してあったという。しかし、容国団はハンガリー、そして世界をあっといわせる。第1セットこそ落としたものの、その後、3セットを連続奪取して逆転勝ち。男子シングルス最高のトロフィーーーセント・ブライド杯に初めて中国人の名前「Rong GuoTuan(容国団)」が刻まれた。

 この快挙の2年後、1961年、第26回世界卓球選手権が中国の地にやってくる。新中国建国後、初の国際大会が北京で行われたのだ。そして、このときが"常勝"中国卓球の始まりとなる。ホスト国として臨んだこの大会、男子が男子団体戦を制し、そして庄則棟(男子)、鄧?恵(女子)がそれぞれシングルスの王者となった。

 以後、世界の卓球界において、中国は常に主役であり続けた。そしてそれは単に競技だけにとどまらない。世界選手権の舞台が、世界史を動かす政治の舞台となったこともあった。何はともあれ、中国卓球の黄金時代の幕開けである。(続く)

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