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第26回世界選手権で優勝した中国チーム
| (三)中国卓球、黄金時代の幕開け
1961年4月、第26回世界選手権が北京で行われた。当時の2大勢力は成長著しい中国と日本。男子団体戦もやはりその両国の対戦となった。セットカウント1ー2、日本リードで迎えた第4戦。中国はエースの徐寅生と、日本の星野展弥が対戦。両者譲らずセットカウント1対1で迎えた第3セット、ポイントは20対18で徐寅生がセットポイント。ここで歴史的な名場面が展開される。主導権を握るのは徐寅生。矢のような強烈なスマッシュを連続して星野に浴びせかける。だが、それを見事に星野がはじき返す。当時の名物実況アナ、宋世雄も名実況を見せた。1つ、2つ、3つ、4つ・・ラリーの数を興奮した調子で数え上げのだ。最後は会場の観客も一緒になって、数を読む。そして12回目、ついに星野の返球がアウトとなった。攻撃の徐、粘りの星野。この対決は「12連発スマッシュ」として卓球界伝説の試合の1つとなった。そして、この大会、中国代表は、当時の強豪、日本を下して、ついに初めての団体戦トロフィー、スウェイスリング杯を手にしたのである。
またこの大会、女子シングルス決勝戦で、中国の邱鐘恵がハンガリーのコーキアンを3対1で破り、初めての女子チャンピオンに輝いた。
第26回北京世界選手権(1961年4月5日ー4月14日)
中国のチャンピオン:
男子団体戦 男子シングルス(庄則棟) 女子シングルス(邱鐘恵)
第27回チェコ・プラハ世界選手権(1963年4月5日ー4月14日)中国のチャンピオン:
男子団体戦 男子シングルス(庄則棟)
男子ダブルス(張燮林・王士良)
第28回ユーゴスラビア世界選手権男子団体戦の決勝では、またもや宿敵日本と対戦。3対2、中国のリードで迎えた6戦目、日本・木村興治、中国・李富栄のエース対決となった。第1セット、16対20で木村のセットポイント。しかしそこで李は脅威の粘りをみせる。持ち味のサーブと強烈なスマッシュを木村に浴びせかけ、6ポイント連続奪取で逆転。結局、この1セット目の勢いを維持した李がセットカウント2?1で木村を破り、中国が団体戦3連覇を果たした。
ちなみに、この日本の木村興治と中国勢の戦いには裏話がある。木村は左利き、独特のフォームの選手で、中国選手も苦戦した。しかし、打倒日本を果たすには、木村との対戦を避けて通れない。そこで、中国国家代表チームは、「木村選手のコピー」つまり、木村と同じ左利きで、瓜二つのフォームで打つ選手を養成した。国家チームの一員、余長春は日がな一日、木村の試合のビデオを見て研究した。そして見事にコピーをやってのけたのである。中国チームは、木村を想定して、余長春との練習を繰り返し、対策を練ったというのである。中国が卓球王国となった影には、こんな壮絶な努力があったのだ。
この大会、女子も団体戦の決勝戦で日本を下し、初めてチャンピオンとなる。1952年、初めて世界選手権に出場してから、中国は、日本に追いつけ、追いこせと努力を続けてきた。そしてついに、強豪日本から王者の座を奪い、世界卓球界の主役に躍り出たのである。
またシングルスでは、庄則棟が準決勝で日本の高橋浩を、決勝でチームメートの李富栄を下して、シングルス三連覇を果たした。
第28回ユーゴスラビア世界選手権(1965年4月15日ー4月25日)中国のチャンピオン:
男子団体戦 女子団体戦 男子シングルス(庄則棟)
男子ダブルス(庄則棟・徐寅生)
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