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   2006-04-24 14:48:17    cri

"ピンポン外交"の後、中米の指導者が歴史的な握手

 (四)"ピンポン外交"そして卓球王国全盛へ

 1971年3月28日から開催された第31回名古屋世界選手権。2度目の日本開催となったこの大会は、前回の東京と同じく、中国にとっては歴史的な大会となった。いわゆる『ピンポン外交』が行われたのがこの大会であり、卓球の世界大会が国際政治の舞台としても注目されたのである。中国チームの2大会ぶりの大会参加は、当時複雑だった中米関係をはじめとする国際情勢の雪解けにつながった。

 では、卓球の試合のほうを見てみよう。決勝戦は、またもや宿敵日本の対決となった。第3戦は、李景光が2対0で河野満に快勝。第5戦はまた李景光と日本の長谷川信彦の対戦。1セット目は15対21で落としたものの、そのあとを21対19、21対18とし、セットカウント2?1で逆転勝ちした。第7戦、またもや李景光。勢いに乗る李景光は、21対3、21対6、トップレベルの選手間では滅多に見られないほどの大差での対戦で伊藤繁雄を下した。李景光一人で3勝を挙げ、中国は、再度、日本からスウェイスリング杯(男子団体戦トロフィー)を奪いとった。

 今大会特筆されるべきは、女子の林恵卿が単、複、混でチャンピオンを総なめ、史上初めての一大会で3つのタイトルを制する「三冠」を達成したことだ。

 第31回日本・名古屋世界選手権(1971年3月28日ー4月7日)

 中国のチャンピオン:

 男子団体戦 女子シングルス(林恵卿)

 女子ダブルス(林恵卿・鄭敏之) 混合(張燮林・林恵卿)

 第32回ユーゴスラビア・サラエボ世界選手権、中国男子のシングルスベスト4に残ったのはチ恩庭だけ。国民の大きな期待を受けたチ選手は、決勝戦でスウェーデンの選手と対戦した。「優勝のことを考えず、ただ目の前の相手にだけ集中した。」というチ選手は大接戦を繰り広げる。そしてセットカウント2?2で迎えた第5セット。試合は大詰め、最後のポイント。チ選手の打球は2球連続して、卓球台の隅にかすって方向が変わるボールとなり、最後は相手も粘り負け。大きなプレッシャーの中で戦ったチ選手に、最後は勝利の女神が味方した。

 第32回ユーゴスラビア・サラエボ世界選手権

 (1973年4月5日ー4月15日)

 中国のチャンピオン:

 男子シングルス(チ恩庭) 女子シングルス(胡玉藍) 

 女子ダブルス(張立・張徳英) 混合ダブルス(梁戈亮・葛新愛)

 第33回インドカルカッタ世界選手権

 (1976年2月6日ー2月16日)

 中国のチャンピオン:

 男子団体戦  女子団体戦

 第34回イギリスバーミンガム世界選手権(1977年3月26日ー4月5日)

 中国のチャンピオン:

 男子団体戦 女子団体戦 男子ダブルス(梁戈亮・李振恃) 

 女子ダブルス(朴英玉「朝鮮」・楊瑩)

 第35回朝鮮ピョンヤン世界選手権(1979年4月25日ー5月6日)

 中国のチャンピオン:

 女子シングルス(葛新愛) 女子ダブルス(張立・張徳英) 

 混合ダブルス(梁戈亮・葛新愛)

 この回最後に、第36回ユーゴスラビアバーミンガム世界選手権に触れておこう。この大会、中国代表は、世界をあっと驚かせる成績を挙げた。大会で7つのタイトル、つまり男女団体戦、男女シングルス、男女ダブルス、そして混合ダブルスの全てを中国勢が総なめしたのである。一つの国の代表が一大会で、全てのタイトルを制するという快挙は、卓球はもとより、世界のスポーツ界においても稀に見る歴史的"事件"であった。卓球王国・中国、ここに極まる。いまや中国卓球は世界が束になってかかっても揺るがない、向かうところ敵なしのチームとなっていた。

 第36回ユーゴスラビアバーミンガム世界選手権(1981年4月14日ー4月26日)

 中国のチャンピオン:

 男子団体戦 女子団体戦 男子シングルス(郭躍華) 女子シングルス(童玲) 男子ダブルス(李振恃・蔡振華) 女子ダブルス(張徳英・曹燕華) 混合ダブルス(謝賽克・黄俊群)

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