(七)新たなる伝統・・ドイツへ
第45回世界選手権から、団体戦と個人戦が分けられ、また隔年で行われるようになった。(第46回大阪大会のみ通常通り、一括開催となった)
1999年第45回オランダ・ロッテルダム世界選手権個人戦では、中国は、個人5タイトルを独占。続く2000年マレーシア・クアランプール団体戦で3度目の全タイトル制覇を狙った中国だが、男子が2対3でスウェーデンに破れ、目標は達成できなかった。
第45回世界選手権(団体:マレーシア 個人:オランダ)
中国のチャンピオン:
女子団体戦 男子シングルス(劉国梁) 女子シングルス(王楠)
男子ダブルス(孔令輝・劉国梁) 女子ダブルス(王楠・李菊)
混合ダブルス(馬琳・張瑩瑩)
しかし、その借りを返すときが次大会でやってきた。大阪で行われた2001年第46回世界選手権で、中国代表は、81年第36回、95年第43回に続いて、史上3度目の7タイトル制覇をやってのけたのだ。中国はまたしても"卓球界の奇跡"を成し遂げた。この大会、男子のベスト4はすべて中国人選手。その中で、王励勤が先輩の孔令輝を下して、初めてのシングルスチャンピオンに輝いた。また男子ダブルスでも優勝を飾る。同じく「2冠」を飾ったのが女子の王楠。世界選手権シングルス2連覇を果たすとともに、李菊と組んでダブルス2連覇。新「女王」の誕生である。
第46回大阪世界選手権
中国のチャンピオン:
男子団体戦 女子団体戦 男子シングルス(王励勤)
女子シングルス(王楠) 男子ダブルス(王励勤・閻森)
女子ダブルス(王楠・李菊) 混合ダブルス(秦志戩・楊影) 2003年第47回パリ世界選手権個人戦。中国は、4つのタイトルを獲得したものの、最も欲しかったタイトルを落とした。男子シングルスの栄冠をオーストリアのシラゴに奪い取られたのである。しかし女王は健在であった。王楠が女子シングルス3連覇を果たす。さらに王楠は単、複、混を全て制する「3冠」を達成。翌年の女子団体戦での優勝も合わせ、第47回世界選手権の「4冠王」として、歴史に名を残す。また王楠がこれまでに獲得した世界タイトルは18個。これは"初代女王"鄧亜萍と並んで世界一。そして王楠は、今回の第48回ブレーメン大会の代表にも名を連ねる。今大会、もし中国女子を優勝に導くことができれば、過去最多の19個目の世界チャンピオンタイトル獲得となり、文字通り、史上最強プレーヤーとして歴史に名が刻まれることになる。 2004年カタール・ドーハ大会団体戦は男女とも、世界チャンピオン。第45回大会以来、2大会連続して6タイトルを取った。
第46回世界選手権(団体:カタール 個人:フランス)
中国のチャンピオン:
男子団体戦 女子団体戦 女子シングルス(王楠)
女子ダブルス(王楠・張怡寧) 混合ダブルス(王楠・馬琳)
2005年、第48回世界選手権個人戦は上海を舞台に、再び中国で行われた。中国は個人5タイトルを独占。そしてその勢いを保ちつつ、チャンピオンの殆どが名を連ねた中国代表が2006年4月22日、第48回大会団体戦の決戦の地ブレーメンに入った。目標はもちろん4度目の「全タイトル制覇」。そのうち一つでも欠けてはならない。"常勝"を義務付けられた中国卓球チームならではの、とてつもないプレッシャーを受けての大会だ。 1953年、初めて中国が世界選手権に姿を現して半世紀。この世界最高レベルの選手たちがぶつかりあう舞台では、多くの激闘、名勝負、そして伝説が生み出されてきた。そして今、先人たちが築いた歴史のうえに、また新たな一ページが加わろうとしている。
4月24日、ドイツ・ブレーメン世界選手権開幕。卓球王国、中国の誇りと意地をかけた戦いが今、始まる。私たちは、この夢の舞台で、これからいくつの激闘を、そして英雄たちの涙を目にするのだろうか。(シリーズ終わり) 編集:李軼豪
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