中国野球の歴史
1863年、"アジア最初の野球チーム"上海野球クラブ設立。「中国野球の父」梁扶初が初代監督を務める。
1872年、当時の清朝政府が30人の留学生(全て男子学生)をアメリカに派遣。彼らが初めてアメリカ文化、そして野球に触れた。「東方野球クラブ」を結成。
1879年、革命の祖、孫中山(当時12歳)がハワイに移住。未来の革命家はここで野球を学んだ。
1895年、当時の中国の3大大学、北京匯文大学、上海セントジョーンズ大学、北京同舟大学が全て野球部創設。
1905年、上海セントジョーンズ大学と上海キリスト教青年会が大陸で初の対抗戦を実施。セントジョーンズ大が勝利する。
1907年、中国最初の大学対抗戦を実施。北京匯文大学と北京同舟大学の間で戦われた。
1911年、中国海外野球クラブをハワイで結成。サンフランシスコでの行われたエキシビジョンで当時のニューヨーク・ジャイアンツを破る 。
1913年、中国、日本、フィリピンの3カ国が「運東運動会」を開催。その種目に野球が含まれ、中国は以後、毎年のように代表を派遣した。
1932年、アメリカ・パシフィックリーグの試合で、オークランドのアメリカ籍華人で、中国移民2世の李庚洪が先発。一方、相手のサクラメントはハワイ出身の日本人選手が先発し、火花を散らした。
1959年、「第一回全国運動会(日本の国体にあたる)」で初めて野球が正式種目に。30あまりの省、軍、地区が参加して行われる。北京チームが最初の王者に輝く。
1975年、低迷期を経て、野球が正式に復活。
1976年、香港で最初の野球連盟創立。選手は全て華人だった。
1988年、初の「北京世界選手権大会」開催。ジュニア選手が参加。
1996年、日本の中日ドラゴンズとオリックスブルーウェーブから構成されたチームが来中。中国国家チームと2試合を戦った。
2002年、中国野球協会などが中心となって中国野球リーグ(CBL)がスタート。北京タイガース、天津ライオンズ、上海ゴールデンイーグルス、広東ライトニングの4チームでスタートした。
一ヶ月に渡ってリーグ戦が行われ、天津ライオンズが中国プロ野球最初の覇者に輝く。
2003年、シーズンを3ヶ月間に。合わせて48試合のリーグ戦と5試合のシリーズ大会により王者を決める。
2004年、レギュラーシーズンが72試合に倍増 。
2005年、四川ドラゴンズ、中国ホープスターズが加わり6球団となる。
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