冬季オリンピックは1924年、一般に私たちが『オリンピック』と呼ぶ夏季大会の始まりから28年遅れてスタートしました。
第一回大会の開催地はアルプスの最高峰モンブランのふもとにあるリゾート地シャモニー・モンブラン(フランス)です。実は、この大会を主催したのはフランスで、国際オリンピック委員会(IOC)は名義上の後援をしたに過ぎず、大会名も当初は『国際冬季競技週間』となっていました。これを翌1925年になってIOCが『第一回冬季オリンピック競技大会』として追認したわけです。
中国が冬のオリンピックに初めて参加したのは、1980年の第13回レークプラシッド(アメリカ)大会で、男女28名、18種目に出場しました。技術の遅れ、準備不足などもあり、入賞を果たした選手は1人もなし。世界との差を痛感させられました。
以後も毎回、選手団を派遣。そして念願の初メダルを獲得したのは、初参加から12年後のフランス・アルベールビル大会でした。女子スピードスケートに出場した叶波選手は、ケガを押しての出場にも関わらず、500m、1000mでぞれぞれ銀メダルを獲得。中国に冬季オリンピック初のメダルをもたらしました。
このアルベールビル大会以降、冬のオリンピックは夏季大会の中間年に開かれるようになります。
2年繰り上げて1994年に開催された第17回リレハンメル(ノルウェー)大会では、女子ショートトラック500mで陳艶梅選手が銀メダル、女子スピードスケート1000mでは叶喬波選手が銅メダルをそれぞれ獲得しました。一方、女子フィギュアスケートでは、陳露選手が3位になり、フィギュアスケート初のメダリストに輝きました。
続く1998年の第18回長野(日本)大会では、楊陽選手が、チームメートとともに勝ち取ったリレーの銀メダルに続いて、女子ショートトラック500mで銀メダル、1000mで銀メダルを獲得、大活躍を見せました。一方男子では、李佳軍選手が、ショートトラック1000mで銀メダルを取り、男子初のメダリストとなりました。この大会、中国代表団は、銀メダル6個、銅メダル2個と史上最多のメダル数をマークしましたが、誰もが心待ちにする金メダルは未だ獲得できませんでした。
その念願の初金メダルは、第19回ソルトレークシティー(アメリカ)大会に出場した楊揚選手です。女子ショートトラック500mで楊揚選手は並み居る世界の強豪を振り切って、最初にゴール。歓喜の表情で、国旗を振る楊揚選手の姿はいまでも私たち国民の記憶に残る感動的なシーンでした。続いて、1000mで金メダルを、リレーでも中国チームのメンバーとして銀メダルを獲得し、この大会2金1銀をマーク。さらにその大会では申雪・趙宏博ペアが、これまで欧米の選手がほぼ独占していたフィギュアスケートで銅メダルを取りました。
80年以上の歴史を持つ冬季オリンピックの第20回大会は、2月10日から26日までイタリアのトリノで行われます。
トリノ市は、イタリア北部に位置し、フランスと国境を接するピエモンテ州の州都です。ミラノからおよそ150kmのポー川沿いに広がっています。人口は90万人でイタリア第4の都市です。自動車工業・繊維工業・ファッションの中心地、そして特にサッカーファンにはイタリア1部リーグ、セリエAの名門チーム"ユベントス"のホームとして知られています。
今回の大会では、スキー、スケートを始め84種目が設けられ、85の国と地域の2500人の選手が参加する予定です。中国選手団は、男子36名、女子40名の選手、そして役員など151人からなり、3競技の47種目で戦う予定です。
ショートトラックでは、中国初の金メダリスト楊揚選手、世界選手権チャンピオン王濛選手、四回目出場のベテラン李佳軍選手、フィギュアスケートでは、申雪・趙宏博ペアを始め3組、スピードスケートでは、近年世界杯、世界選手権の金メダルを独占している王曼麗選手、国内大会で王曼麗の記録を破っている王北星選手、フリースタイル・スキーでは、中国初の世界選手権チャンピオン李妮娜選手が金メダルを狙えるとされ、期待がかかっています。
中国代表団へのご声援をお願いします。
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