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ウルムチ市は三面、山に取り囲まれた都市です。このウルムチ市の東部に、大面積のグリーンゾーンが広がっています。「水磨溝」と言い、ウルムチ市市民が数十年来、造林をしてきた成果の現れなのです。
ここ数年、水磨溝で展開された造林の成果を称えている『水磨歌謡』です。歌詞には、「千年の砂嵐が追い払われ、山々は緑になっている」と歌われています。
20年前まで、水磨溝エリアには木はわずか数本しかなく、見渡す限りの禿山でした。地元の人々は、「風が吹けば石がごろごろ転がる不毛の地」と表現していました。
水磨溝の変貌は、政府の主導による造林緑化活動とかかわっています。1980年代から、ウルムチ市の学生、公務員、会社務めの従業員、幹部、それから解放軍の将官と兵士たちが、春になれば、ここに来て木を植え、これを20年余り継続してきたからです。
20年余り来、この禿山の緑化事業に数多くの人々が汗水を流しました。張超さんはその中の1人です。張さんは毎年植樹に来ているため、硬い山地で穴を掘り、木を植えることに豊かな経験を持っています。
「硬い土の場合は、力持ちの人の出番となります。彼等を集め、タガネチームやツルハシチームを編制し、少しずつ掘っていくのです。先ずは溝を作ります。それから溝の中から更に穴をほっていくやり方をとります。穴が出来れば、カゴやバケツ、たらいなどで麓から土を運んでもらうのです。」
水磨溝の造林にとって、活着率が一番キーワードです。園林隊勤めの卓暁晶さんは16歳から、この仕事に取り掛かっています。卓さんにとって、苗木は我が子と同じようように大事な存在なのです。
新疆は風が強く、沙嵐が多い。私にとって、一本一本の木は1人1人の子供と同じように、心血を注がないで、育てることはできない。当時の木は、親指ほどの太さしかなく、木の葉もほんの数枚しかなかったです。ある時、虫害に襲われ、私たちは慌ててスプレーを背負い、イスに登り、薬をかけはじめました。昼までやりつづけたら、気づけば自分自身が吐き気になってしまいました。しかし、それでも、午後から同じことを繰り返しました。スタッフ全員で取り組んでいました。」
20年余り来、水磨溝の造林活動に参加した人は延べ110万人を上回り、その植えた木の数は150万株以上、活着率が90%以上で、緑化面積が1000ヘクタール以上に達しています。
1999年から、ウルムチ市政府は市民向けのボランティア植樹活動を呼びかけたと同時に、民営企業もしくは集団、個人向けに、禿山の請け負いによる緑化事業を奨励し、サポートしてきました。これまでに、全部で12の民営企業が政府と造林契約を締結しました。企業はその請け負った禿山で造林し、更に、リゾート地開発やゴルフ場の建設などレジャー施設を整え、水磨溝の観光産業の発展を促しました。
水磨溝区の李宗山副区長は、これについて、次のように語っています。
「緑化は生態系の改善だけでなく、観光開発や経済発展をも大きく促しました。ここ数年、地元の財政収入は20%の成長率を実現しました。不動産の価格も急速に上昇し、各種開発も大きなビジネスチャンスが潜んでいます。ここはウルムチ市民にとって、快適な居住区と仕事をするエリアと変身してきたのです」と語りました。
経済の発展により、人々が生活環境への要求を高めています。1990年代から、水磨溝エリアは大規模なコミュニティ緑化運動をはじめました。つまり、道路、団地と各会社、団体の緑化を強化すると同時に、公共緑地の整備にも力を入れてきたため、人々の居住環境が高められました。
20年一筋に、緑化仕事に従事してきた園芸師・王培新さんの話です。
団地や町部の緑化は禿山での緑化とは異なります。並木は整然としたこと、それから鑑賞性があること、さらに、喬木、潅木と花々の組み合わせをすることが求められています。そういうわけで、私たちは北方の気候に適し、しかも、観賞できる木の種類を選びました。
弛まない造林の努力が実を実らせ、もともとの不毛の地は今は「都会のグリーンアイランド」に変身しました。ウルムチ市の数多くの市民がこれに心血を注ぎ、汗水を流してきました。今後も、人間と自然が調和し、共生できる緑の多い環境作り、彼等は努力していきます。
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