朝鮮半島の核問題は1990年代から始まり、当時、アメリカはその衛星写真を根拠として、朝鮮が核兵器開発の施設をもっていると疑い、「これらの施設に対して検査を行う」と公言しました。一方、朝鮮側は、「核兵器を製造する計画もまたその能力もない」と何度も表明すると同時に、「アメリカは韓国で核兵器を配置し、朝鮮の安全に脅かしている」と非難しました。
以下は、朝鮮半島の核問題について発生した重要な事実経緯です。
1992年:
5月25日、IAEA・国際原子力機関調査団が朝鮮に対して核査察を始めました。
1993年:
3月12日、朝鮮は、アメリカと韓国が「協力精神」という合同演習を引き続き行うことやIAEAが朝鮮の軍事施設を査察することを要求したことで、「3ヶ月後に1985年末に加入した「核拡散防止条約」から脱出する」と発表しました。
6月2日から11日まで、朝鮮・アメリカ第1回正式会談がニューヨークで行われました。双方は、会談後発表した共同コミュニケの中で、「核兵器を含む武力を使用せず、また武力で脅かさないことを保証し、朝鮮半島の非核化、平和と安全を保障し、互いに主権を尊重し、内政を干渉しない。朝鮮半島の平和統一を支持する」と述べ、朝鮮は、「『核拡散防止条約』から当面離脱しない」と発表しました。
7月14日から19日まで、朝鮮とアメリカはジュネーブで、2回目の正式会談を行いました。朝鮮側は、「IAEAと対話をできるだけ早く行う」と表明し、アメリカ側は、「朝鮮の原子炉の改造を援助する」と表明しました。
1994年
7月8日から8月12日、朝鮮とアメリカはジュネーブで、第三回正式会談を行い、共同コミュニケを発表しました。共同コミュニケでは、朝鮮は黒鉛減速炉を軽水炉に変換する一方、アメリカは朝鮮に軽水炉とエネルギーを供与することが示されました。
10月21日、朝鮮とアメリカはジュネーブで朝鮮核問題を巡る「枠組み協議」に調印しました。協議に基づき、朝鮮はその核計画を凍結し、アメリカは10年以内に、朝鮮で出力2兆キロワットアワーの軽水炉一基、或いは出力1兆キロワットアワーの軽水炉二基を建設するが、軽水炉が完成するまで、エネルギー補償のため、アメリカは他の国と一緒に、朝鮮に重油を提供していくことになりました。
2002年:
11月14日、KEDO・朝鮮半島エネルギー開発機構実行理事会はニューヨークで会議を開き、12月から、朝鮮への重油提供を中止すると決議しました。
11月29日、国際原子力機関は、核計画を放棄し、関連施設を開放し、核査察を受けるよう朝鮮に求める決議を採択しました。
12月22日、朝鮮は、凍結された各施設を再開し、監視用のカメラを取り外したと発表しました。
2003年:
1月10日、朝鮮の国連常駐代表は、朝鮮が「核拡散防止条約」から離脱すると発表しました。
4月23日~25日、中国、朝鮮、アメリカ三カ国は北京で、朝鮮核問題をめぐって、三者会談を行いました。
8月27日~29日、中国、朝鮮、アメリカ、韓国、ロシア、日本は北京で始めて、朝鮮核問題六カ国協議を行い、また2004年2月と6月に、それぞれ二回目、三回目の協議を行いました。朝鮮とアメリカとの食い違いのため、第四回6カ国協議が10ヶ月ぶりに行われることになりました。
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