作者:痴公(日本人)
北京の地図は毎月新しいものにする必要がある。都市が急速に整備されているからだ。中国語辞典も毎年ボキャブラリを増やす必要がある。新しい言葉が生まれ豊富になっているからだ。
久しぶりに中国へ行き、新しい言葉にわけもわからなく困ったことがあった。10年前北京で、「撮」という言葉を口にしているタクシーの運転手さんに教えてもらったことがある。運転手さんはバカにしたような顔をして、「中国人じゃないだろう、『撮』は遠慮なく思いきり食うって意味だよ」と言っていた。中国では、「吃」も「啖」もあるのに、なぜ「撮」を使うのだろうか?
今年北京で、知り合いから、よく耳にする「酷」という字を教えてもらった。彼はずいぶん説明してくれたが、よく意味がわからなかった。すると彼の姑が私たちの話に割り込んだ。「えっ、こんなのも知らないの?『酷』っていうのは、だらしなく着飾ること。男はお下げを結い、長髪で、北京原人みたいだ。ほかにも、頭の上に髪の毛を何本か残し、赤や緑に染めて、耳たぶに大きい鉄の輪をつけ、イヤリングを鼻や唇、へそなどにもつける。けっこういいズボンなのに大きく破れたものを穿く。ヨレヨレにズボンを穿き、すそが地面をズルように…これが「酷」っていう。女のほうは顔をばけもののように厚化粧し、へそを出し、カステラのように厚いかかとのある靴を履く…」
「ほかにはね、歌う声がノイズみたいで、マイクを持ってうんうんうなる。ダンスがけいれんのようで、舌を噛んでるみたいに話す。『すごくすごくきれい』とか、『あの人中国らしい』とか、普通の話方ではなく、鳥肌が立つほど吐き気がするのも、また『酷』っていう。」
「おびえさせることのできるのが『酷?』だ。」
社会が発展するゆえに、新しい言葉が次々に生まれ、それらの標準化は非常に重要なのだ。日本の国立国語研究所は63個の外来語を標準化した。例えば、インフォ族ムド?コンセントを「納得する診療」に変え、理解しやすくした。これは私たちの参考になる事例かもしれない。
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