北京オリンピックの聖火リレーは28日、安徽省合肥市で行われましたが、ランナーの中には、四川大地震の被災地で救援活動に当たって頑張っている人がいます。合肥市の警察官、朱世軍さんです。
朱世軍さんは、地震の発生に先立って聖火ランナーに選ばれているので、28日、被災地から故郷の安徽省合肥市に戻り、リレーに参加しました。被災地での救援・支援活動の真っ最中に身を退き、余震が相次ぎ、一面廃墟だらけの現地から、何事も変わったことのない合肥市に戻った朱世軍さんは、まだまだ気持ちを切り替えられないと話します。
「我々は8時間もかけて徒歩で山道を歩いて、15日の昼頃、震源地のブン川県に入りました。そしてすぐ、救援活動を始めました。山が崩れたり、建物が倒れているのをよく見かけますし、余震も絶えず発生します。しかし、2週間後の28日には、地震の被害がまったくない故郷の合肥に戻って、道路の両側に数え切れないほどの人々に歓迎されて、聖火トーチを持ってリレーをする。この2週間で突然環境が変わって、なかなか心の調整ができないんです。故郷に帰る前、一緒に被災地で救援している同僚に、リレーが終わったらすぐ帰ってくると約束しましたが、その人は、『聖火リレーでも、困難を乗り越える精神や、被災地に対する関心と愛を伝えるんじゃないか』と気づかせてくれました。我々はいつも四川の人と一緒にいるんだ、我々は1本の見えないきずなによって結ばれているんだと、皆に伝えることができればと思います」
被災地で2週間、全力をかけて救援活動を行う中で、朱世軍さんは、改めて感じたことがありました。
「この地震がなければ、皆は、今までと同じようにお金とかマイカー、マイホームを求めていただろうと思いますが、それは一瞬で、全てなくなってしまいました。そして、残ったのは、お互いに、そばにいてあげて、一緒に元気で生きていこうという、非常に簡単なものだけでした。知らない人でも、突然、距離が短くなって、家族と同じようになりました」
朱世軍さんの話によれば、被災地住民の苦しい生活ぶりを見て何回も涙したことがありましたが、救援活動にあたる軍兵士や警察を励ましてくれたのも、住民たちだということです。現地の人々から、災難に直面し、元気で生きていく力をもらったと、朱さんはいいます。
「私たちが現地に入った最初の何日間、家を失って家族を亡くした人のことをよく見たり聞いたりして、涙なしにはいられなかったんです。いつも悲しい気持ちで救援活動をやっていたんですが、ある日、地元の人が我々に会いに来ました。『来てくれてありがとう』と繰り返し言いながら、ひとり一人抱き合ってくれました。そして、悲しいことはもうこれでおしまい、ハッピーにやっていこうといって、地元の笑い話を教えたり、ときどき世間話をしてくれたりしました。本当に、そこの人々から元気をつけてもらったと思います」
安徽省合肥市での聖火リレーが終わり、朱世軍さんは早速、被災地に戻りました。そこには、「家族」みんなが待っているからだと話します。
「我々は、地元を『助ける』のではなく、家族の一人として当たり前のことをするために被災地に行ったんです。家族みんなの故郷が復興するまで頑張っていきます」
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