「射撃」は、中国の五輪史上、特別な意義を持っています。
1984年のロサンゼルス五輪で、中国は五輪最初の金メダルをこの「射撃」で獲得したのです。表彰式で、当時のサマランチIOC会長は、「中国のスポーツ史に残る偉大な一日である」と述べました。
この"偉大な一日"を作ったのは、許海峰です。
"弾弓の王様"とも呼ばれた許海峰は27歳のとき、初めて五輪に出場しました。許海峰は「566点という結果が出た時、やっぱり心配だった。本当に優勝できるのだろうかといろいろ考えた。最後に審判が、私に合図を出してくれて、ようやく優勝の実感が沸いた。本当にうれしくて堪らなかった」と当時を振り返ります。
これにより、許海峰は中国の英雄と呼ばれるようになりました。そして、1994年から、彼は中国射撃代表のコーチを務め、李対紅、陶ロナーなど、数々の金メダリストを育ててきました。2001年には、射撃代表の監督となり、2004年のアテネ五輪ではチームを率いて金4個をはじめ、9個のメダルを獲得しました。現在、許海峰はすでに、射撃代表から離れ、中国競輪・近代五種競技センターの副主任として、行政面から中国スポーツを支えています。まだまだ発展途上の競輪と近代五種競技の選手を率いて、五輪で好成績を残すことを期待されています。
中国の射撃と言えば、もう一人、王義夫の名前が挙がります。許海峰が中国五輪史上初の金メダルを獲得した時、王義夫は銅メダルを獲得しました。それ以来、彼は2004年のアテネ五輪までの全ての五輪に出場し、金2個、銀3個、銅1個を獲得しました。2004年のアテネ五輪で、44歳の王義夫は男子10メートルエアピストルのチャンピオンに輝いて、現役にピリオドを打ちました。今年の北京五輪で王義夫は、中国代表の監督として、射撃場に現れることになります。
1984年のロス五輪で、許海峰と王義夫が共にメダルを獲得したことについて、面白いエピソードがあります。普通、射撃の結果が出た後、すぐ表彰式を行うはずです。しかし、許海峰と王義夫は表彰まで40分も待たされました。その後、理由を聞くと「五輪の初日の同じ試合で、中国人が金と銅の2枚のメダルを獲得できること予想されていなかったため、組織側は中国国旗を一枚しか用意していなかった」というのです。表彰式では、メダルを獲得した3選手の国旗をそれぞれ掲げなければなりません。結果が出た後、急いで、ヘリコプターで、もう一枚の中国国旗を運んできたのだそうです。この二人の大躍進が、世界をどれだけ驚かせたかが分かるでしょう。
今年の北京五輪での中国最初の金メダルは、射撃で誕生する可能性が非常に高いと言われています。中国射撃陣は果たして、幸先のよいスタートで中国代表を勢いづけることができるのでしょうか。
射撃は8月9日から17日にかけて、北京石景山区の北京射撃館で行われます。
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