1895年、アメリカのウイリアム・G・モーガンとスプリングフィールド大学の学生らがバレーボールを発案しました。その後、世界各国のYMCAを通じて国際的に普及し、1964年の東京五輪で、正式種目に採用されました。
バレーボールの中国女子代表は世界でも強豪の一つに数えられます。その国際大会5連覇の記録は今でも中国のバレーファンの間では語り草となっています。
1981年11月、中国女子代表は初めてワールドカップのチャンピオンとなりました。そして1982年9月に世界選手権、1984年にはロス五輪で優勝。そして、1985年にワールドカップ2連覇、1986年9月の世界選手権でも優勝と、まさに黄金時代を築きました。
この女子代表の5連覇は中国にとって特別な意義を持っています。当時、中国の改革開放が始まった時でした。まだまだ経済的にも遅れている中国が世界の舞台でトップに立ったことは中国人に自信をもたらしました。これに励まされ、全国民が力を合わせ、国力向上に取り組みました。この中国のバレー女子代表が示した精神は「女排精神(女子排球隊の精神)」と呼ばれています。
しかし、その後、後継選手の不足などの原因で中国の女子バレーボールは谷の底に落ち込みました。そして、その状態は17年も続きました。2001年、陳忠和氏が中国代表の監督に就任。陳監督は、1979年から1999年まで何度も国家代表のコーチを務めたことがあり、豊かな経験と革新の精神で、チームを立て直すことが期待されました。
陳監督はチームの再編成を行い、大胆に若手選手を起用し始めました。陳監督の指導の下で、馮坤、趙蕊蕊などの選手がた2年ぐらいの弛まぬ努力を通じて、つい実を結びました。2003年、日本の大阪で開催されたワールドカップで、中国女子代表は全国民の期待に答え、再び世界のトップに返り咲きました。そして翌年のアテネ五輪でも優勝。「女排精神」が蘇ってきたと中国の人々は信じています。
現在、北京五輪の代表メンバーはまだ発表されていませんが、馮坤(セッター)、趙蕊蕊(ミドルブロッカー)、王一梅(サイドアタッカー)、楊昊(ウイングスパイカー)などの人気選手に注目が集まっています。ちなみに、国家代表は7月に最終決定します。
なお、バレーボールの新しい"仲間"である「ビーチバレー」は1950年代以降、ポピュラーなスポーツとなってきました。オリンピックに公開競技として登場したのが1992年の第25回バルセロナ大会。そして正式種目となったのが1996年の第26回アトランタ五輪です。現在、ビーチバレーは中国でまだまだ普及されておらず、育成の段階にあるといえます。
北京五輪のバレーボールは8月9日から24日にかけて北京の首都体育館と北京理工大学体育館で行われます。またビーチバレーは8月9日から22日まで北京市の朝陽公園ビーチバレー場で行われます。
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