<北京五輪開催までの道のり>
【1993年】
9月24日 2000年五輪開催地に立候補したが、モンテカルロで開かれたIOC総会での選定投票でシドニーに惜敗
【2001年】
7月13日 2008年五輪開催に再度立候補し、モスクワで開かれたIOC総会で決定
12月13日 北京五輪組織委員会発足。会長劉淇北京市長(当時)
【2003年】
8月3日 公式エンブレム「京」を発表(内外から寄せられた1985作品の中から、「オリンピックの精神と中国の伝統文化を結合させたデザイン」として選出)
9月1日 運営資金を集めるためのマーケティング活動開始
12月 メーンスタジアム・国家体育場(愛称「鳥の巣」)の着工を皮切りに、北京市内の各会場の整備を開始
【2005年】
6月25日 大会スローガン「一つの世界 一つの夢」(One World,One Dream)を発表。
全世界から集まった21万の候補から選定
テーマ(コンセプト)は「グリーン五輪、ハイテク五輪、ヒューマン五輪」
11月11日 マスコット「フーワー」を発表(聖火、パンダ、チベットカモシカ、魚、つばめをイメージした5つからなっており、それぞれの名前はベイベイ、ジンジン、ファンファン、インイン、ニーニー。頭の音を合わせると中国語の「ようこそ北京へ」になる)
【2006年】
4月16日 開閉会式の演出担当として、張芸謀氏を総監督に、スティーブン・スピルバーグ監督(米)ら内外13人からなる作業グループが発足
8月8日 劉淇会長は五輪入場券は合計700万枚発売すると発表
【2007年】
3月8日 中国国内在住者向けの入場券販売用公式サイトが開通
3月27日 五輪メダルデザインを発表
4月15日 国内向け入場券の第一次発売開始(700万枚のうち、75%は中国国内向け)
4月26日 北京五輪聖火リレーコース発表(2008年3月24日から8月8日まで。計130日間、全長13万7千キロ、世界最高峰のチョモランマを初めて越える)
トーチのデザイン発表("誓いの雲"模様。中国語名"祥雲"、英語名Cloud of Promise。72センチ、985グラム、燃焼時間15分)
聖火リレー公式ページ開通(http://torchrelay.beijing2008.cn)
5月23日 パラリンピックの競技マーク発表
6月23日 聖火リレーランナーの選抜開始(全世界で21880人を選出)
7月28日 順義オリンピック水上公園、北京射撃館落成
8月8日 カウントダウン1年記念式典、天安門広場で開催、IOCロゲ会長が出席
8月 北京五輪開閉幕式プログラムが決定、リハーサル開始
(全体で3時間半、うち入場行進が2/3、アトラクションが約1時間)
8月から プレ五輪「グッドラック北京」の各大会が続々と開催
9月5日 全世界向けて子どもの笑顔の募集開始
9月6日 北京パラリンピック大会聖火リレーコース発表
12月4日 大会ボランティアの応募人数が76万人に達する
12月10日 国内向けの第二段階の入場券発売開始
<これからの予定>
【2008年】
3月25日 北京五輪聖火採火式(ギリシャ・オリンピア)
3月25ー30日 聖火がギリシャ国内でリレーされ、30日にパナティナイコ・スタジアムに到着して、引継ぎ式が行われる
3月31日 聖火が北京に到着、歓迎セレモニーとリレースタート式開催
3月末ー4月初め メインスタジアム「国家体育場」竣工
4月 国内向け三回目の入場券発売開始
5月4日 北京五輪聖火リレーが中国国内に到達
6月7日 入場券の配送開始
8月8日ー24日 北京五輪開催
9月6日ー17日 北京パラリンピック大会開催
(付録)中国の五輪金メダル
中国は1979年、IOCに復帰し、1984年のロサンゼルス大会に初出場しました。
開催年と開催地 |
金メダル数 (括弧の中は日本の金メダル数) |
順位 |
1984年ロサンゼルス |
15個(10個) |
4位 |
1988年ソウル |
5個(4個) |
11位 |
1992年バルセロナ |
16個(3個) |
4位 |
1996年アトランタ |
16個(3個) |
4位 |
2000年シドニー |
28個(5個) |
3位 |
2004年アテネ |
32個(16個) |
2位 |
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