今度は昔の笑い話です。最初は「笑林広記」から「家兄」です。
家の兄とかく「家兄」は辞典では、他人に対して自分の兄のことを指すとありますが、中国では、むかし、山西と河南の多くの地方では、金や銀などのことを「家兄」とも呼んでいたようです。
では最初は、「家兄」です。
周という地方の長官は、私腹を肥やすための罪がばれて、のちにあるところの県令に落とされた。
と、県令として職に着いたばかりの日に、ある下役人が、試にと、県令の屋敷をたずね、銀で作った小さな人形を県令が出てくる前に応接間に置き、奥にいる県令に大声で、「家兄がここにおりますので、よろしくお願いいたします」と言い残し、帰って行った。
これに県令はいい加減に答え、しばらくして応接間に出てみると、下役人はおらず、かの銀で作った人形だけが 置いてあるのを見て、にやっと笑い、それをもって奥には入っていった。
のちに、この下役人はへまをやらかし、その上、庶民から甘い汁を絞り取っていたことがばれてしまい、なんと打ち首の罪にされてしまった。
そこで、処刑される日、やっと県令に一目会うことができたこの下役人は、必死でこういう。
「県令さま、かの私の家兄の面子を持って今度は命を助けてくださいませ」
これを聞いた県令、何のことかわからないような顔をしていたが、しばらくして思い出し、こう答えたそうな。
「なにをいう!お前の家兄もおろかじゃのう!わしが家兄を好んでいることを知っておきながら、あれっきり屋敷に姿をみせんんとはな!!」
「うちの月」
次は「笑得好」という本から「うちの月」です。
「うちの月」
付さんには、なんでも訳なしに謙遜して言う癖があった。
「付さん、あんたの文章はうまいね」
「いやいや、つまらん文章ですよ」
「付さん、あんたのうちの庭はすばらしいよ」
「いやいや、ただの庭、花や池があるだけのもの」
こういうつまらない答えが返ってくるので、人々も褒めたりするのは控えた。
と、ある日、付さんの父が七十の誕生日を迎えたので、その日は親戚や友人が付さんの屋敷に呼ばれ、宴が開かれた。
「うん、この料理はうまい。付さん、あんたは良い厨房人を抱えていますな」
「いやいや。たいしたことはない。この料理も食べられないことはないというほどでしょう」
「付さん、この酒はいけるね。長いことこんなうまい酒は飲んでいないよ」
「いやいや、つまらん酒のこと。我慢して飲んでくださいな」
こうして宴たけなわとなったが、その夜は満月が出ていた。
「付さん、ごらんなさい。いい月ですな。気持ちがいい」
「いやいや、あれも、うちのつまらん月にすぎません」
やれやれ!
そろそろ時間のようです。来週またお会いいたしましょう・
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