小学校の時に、父親に買ってもらった本に夢中になったことがあります。本の名前は今でもはっきり覚えていて、『上下五千年』といいます。紀元前と紀元後の中国の歴史や文化をたどって、分かりやすく説明した読本です。中国ではおそらく私とほぼ同年代の人はこの本を読んだことがあると思いますが、具体的な内容についてははるかかなたです。ただ、小さいころから中国文化が五千年っていうとても長い歴史があるんだと、すごく自慢に思えたことが今でも記憶に残っています。
しかし、後ほど日本で生活した経験があり、日本のテレビ番組や出版物、ホームページなどで、「中国文化四千年」とたびたび出てくるのには、正直言って気になることがありました。まあ、もちろん、怒ったりしていたわけではありませんよ。でも、なぜ私たちが主張している「五千年」というのは、同じ漢字文化圏にある日本では、一千年も短くなって、「四千年」になったんだろうって思いました。とにかくその理由が知りたくていろいろ資料を調べてみました。
要は、現在が西暦二千年ですから、紀元前については何千年前にさかのぼるか?が勝負です。
ここでは、「中国五千年」説の根拠を整理してみましょう。
私たちが通常言う「五千年」というものは、今のところまだ実証されていない黄帝の時代から数え始め、それから、夏王朝、殷王朝、周、春秋戦国時代…へと続きます。夏王朝については、いまだ殷のように決定的な証拠が発見されていません。
では、科学的にはどう推定されているのでしょうか。ここでは、陳舜臣氏による『中国五千年』(講談社文庫)から引用します。
「人間が文化をもったときから歴史時代と数えるから、新石器時代が歴史のあけぼのと言えるでしょう。…仰韶も竜山も黄河流域ですが、南方には水稲工作を行っていた良渚文化(浙江省)、青蓮崗文化(江蘇省)といった新石器時代の遺跡が発見されています。…放射性炭素の測定値は良渚文化がほぼ四千七千年、青蓮崗文化が五千四百年ほど前です。」と述べています。
こうなると、「文化五千年」説は、結構根拠がありそうです。
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(担当:周莉)
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