では、杜康とは何者?これはいい表現ではありませんから、杜康とは誰なのでしょうかとしておきましょう。
昔の本「説文解字」は、「少康が杜康なり」としています。この少康とは、大昔の有名な王である禹の息子の啓が打ちたてた中国最初の王朝、夏の五代目の君王です、そうなると杜康は王だったということになりますね。また、晋の時代の張華の著書「博物誌」には、杜康は漢王朝時代の酒泉の太守だったというのです。のち、明代には杜康は腕のよい酒作りの職人で、かつて周王のために酒を造ったと言われました。
ところで、杜康はどこに埋葬されているのでしょうか?かの「説文解字」には、長垣に葬られるとありました。長垣とは、いまの河南省東北部にあります。でも、一説では陝西に埋葬されていると言うのですね。いまの陝西省の白水県の県庁所在地から7キロ少しはなれたところに「康家衛」という村があり、地元の人は、ここが杜康の生まれた土地だというのです。清朝の乾隆年間に修正が加えられた「白水県誌」には、「杜康、字は中寧。康家衛生まれといわれている」という記載がありますが、いわれているじゃはっきりしませんね。また、この近くには水質のよい泉があり、これが「杜康泉」とよばれ、昔は杜康がここ泉の水を使って酒を造ったといい、いまでも、陝西の白水には「杜康泉」という酒が造られています。また。河南省の汝南にも、杜康が酒を造ったという遺跡が出ているとかで、伝説によると、ここはかつての周の都から遠くはなく、当時の周王が杜康の酒を飲んで食欲が出て元気になったことから、彼を「酒仙」に封じたと話は前にも有ったようですね。でも、後の部分が少し違いますね。何はともあれ、河南の汝南と陝西の白水の住民は、杜康を記念するため、いずれも祠を建て、杜康の像を作り、酒の神と福をもたらす神として、毎年の旧暦の1月21日に、供え物をして、いろいろ行事を行い、日が暮れるまで騒いでいたようです。
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