1894年6月、パリ国際スポーツ会議の協議は第一回の近代オリンピック開催地をギリシャの名城アテネに決定した。
ギリシャの首都アテネは、東南部に位置し、海に囲まれて、気候が穏やか。ギリシャの政治、文化そしてスポーツの中心地でもある。古代五輪はアテネから300キロの場所で開催された。ゆえに最初の近代オリンピックがアテネで開催されることは重要な歴史的意義がある。
第一回大会にはギリシャ、オーストラリア、オーストリア、ブルガリアなど14ヶ国から311名の選手が出場した。開催地ギリシャからの選手が最も多く230人。全体の三分の二を占めた。続いて、ドイツとフランスが19人ずつ、次いでアメリカが14人だった。
そして、古代オリンピックと同じく女子の参加は許されていなかった。女子選手の登場はさらに28年後の1924年まで待たねばならない。
第一回のオリンピックは1896年4月6日に開幕。これはギリシャがトルコの植民支配から抜け出して75周年にあたる。開幕式には8万人が参加し、この数は1932年のロサンゼルスオリンピックまで最多記録を守り続けた。
この大会では陸上、水泳、重量挙げ、射撃、自転車、グレコローマンスタイルレスリング、体操、フェンスング、テニスと9つの競技が設けられた。
開幕日に行われた三段飛びでは、米ハーバード大学のジェームス・コノリーが13m71をマーク、現代オリンピック史上最初の金メダルを受けとった。これを皮切りにアメリカは12種目9個の金メダルを制覇。"スポーツ王国"アメリカが真骨頂を見せ、今にいたる。
今大会の最も特筆すべきはマラソンだった。4ヶ国17人のランナーが出場したが、10万人が沿道を埋め尽くした。当時のアテネは人口13万5千人。市民のほとんどが観戦に赴いたことになる。このマラソンでは開催国ギリシャのルイスが優勝。これがギリシャにとって初めての陸上金メダルとなった。
4月15日、オリンピックは閉幕。10日間にわたって行われたこの大会で、アメリカが金11個、銀7個、銅2個でメダル数トップ。主催国のギリシャ、ドイツと続いた。
その後、近代オリンピックは「スポーツの祭典」の地位を不動のものとし、311人からスタートした参加人数は、2005年のアテネ大会で201ヶ国、11099人に達した。
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