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北京第2外国語大学2年生、房迪
   2007-11-03 11:49:28    cri

 Q:ファンディさんは日本で7年間生活したことがあるそうですね。どういうきっかけで日本へ行くことになったのですか?

 A:父の仕事の関係です。小学3年生から中学卒業まで、7年間、新潟県新潟市で過ごしました。

 Q:お父さんはどんなお仕事をされていたんですか?

 A:日本語の通訳です。

 Q:ああ、お父さんも日本語が話せるんですね。

 A:そうなんです。小さい頃、日本人と日本語でペラペラしゃべっている父を見て、すごくかっこいいと思っていました。私が日本語を勉強し始めたのは、父の影響が大きいですね。

 Q:ファンさんの日本語はどうだったんですか?

 A:いえ、当時はぜんぜんダメでした。日本語が一切話せない状態で日本へ行ったので、最初のころはいろいろと苦労しましたね。たとえば、日本の小学校に入学した当初、私が分かる日本語と言えば「ありがとうございます」だけでした。でも、ひらがなが書けないので、中国語の漢字の発音で当て字をして覚えなければなりませんでした。

 Q:当て字ですか。

 A:たとえば、「よろしく」は、「油漏洗?」と漢字を当てて覚えました。こんな具合だったので、初めのうちは意思疎通がうまくできないことがありました。ある日、学校の友達が「放課後、どこか遊びに行こう」と誘ってくれたのですが、友達が何て言っているのか分からなくて、父に電話をして通訳してもらったりとか・・・

 Q:でも、外国で、言葉が分からないというのは不安だったでしょう?

 A:いえ、実は焦りはありませんでした。もともと楽観的な性格というのもありますが、今にして思えば、日本の環境が良かったからだと思います。日本の教育制度は中国と比べてゆとりがありますので、クラスメートたちと遊ぶ時間がたくさんありました。みんなと遊んでいるうちに日本語を身につけたという感じですね。日本に来て3ヶ月くらいで、日常会話にはほとんど困らなくなっていました。

 Q:なるほど。さっき、日本ではクラスメートたちと遊ぶ時間が多かったという話がありましたが、日本での生活で印象に残っているエピソードはありますか?

 A:たくさんあります!でも、一番印象に残っているのは、やっぱり日本語や日本人の習慣に多く触れることができたことですね。

 たとえば、ある友達の誕生日パーティーによんでもらったことがあるんですが、そのときはまだ、日本語がほとんど分からない状態でした。でも、おしゃべりしているとき、みんながよく、胸の前で小さく手を振ったり、首を横にふったりするんですよね。その動作の意味が初めはよく分からなかったんですけど、そのうち、「いや、違う」とか「私は分からない」という気持ちを表すときに、日本人はそういう動作をするのだなというのが分かってきました。そういう、日本人特有の仕草とか動作を研究するのが面白かったですね。

 あと、日本語の表現方法も面白いと思いました。実は、小学4年生の時、バスケットボール部に入っていたんですが、練習の時、友達が投げたボールが過って私の頭に当たってしまったんです。そしたら、先生が駆けつけてきて、私に「大丈夫?大丈夫?」と聞いてきたんです。私のほうはまったく平気だったので、それを伝えたかったんですが、当時はまだ日本語が不完全だったので、「ううん、全然」と答えてしまったんですね。

 Q:普通だったら、「うん、大丈夫」と答えるところを・・・

 A:はい、だから、私の言葉を聞いて、先生は青ざめてしまいまして、慌てて私を保健室まで抱えてくださったんです。でも私のほうは、どうして先生がこんなに慌てているのか分からず、保健室でもあちこち検査されたんですが、どうしていいか分からなかったですね。

 Q:ところで話は変わりますが、ファンさんは中学卒業後、北京に戻ってきましたよね?その後の生活はどうだったんですか?

 A:そうですね。帰国してからは、逆に中国語が話せなくなっていたので、また苦労しました。でも、環境は変えることはできないので、自分が変わるしかありませんでした。中国の生活に適応できるよう、必死でがんばりましたね。

 Q:そして、現在は北京第二外国語学院で日本語を勉強している・・・。ところで、大学では同時通訳を専攻しているそうですね?これはやっぱり、お父さんの影響ですか?

 A:それもあるかもしれませんね。自然な流れだと思います。

 Q:そうですか。そして、実はファンさんは、大学生活のかたわら、あるチャレンジをしたそうですね?なんでも、日本語ガイドのアルバイトをしたとか・・・

 A:そうなんです。実は私は、黒龍江省のハルピン出身なのですが、ガイドのアルバイトで、昨年の夏ハルピンに行ってきました。、最初は実習生として、プロのガイドさんに同行して勉強しました。でも、やってみて、難しかったですね。

 Q:どんなところが難しかったですか?

 A:そうですね、ガイドは観光地を案内してまわることだけが仕事ではなくて・・・お客さんにずっと付き添っていなければならないので、体力も必要ですし。慣れないうちは、仕事が終わるとグッタリしていました。でも、慣れたらすごく楽しかったです。

 Q:ハルピンをガイドしてまわったということですけど、具体的にはどんな旅だったんですか?

 A:そうですね。昨年体験したのは、ハルピン、チチハル、ホロンバイル、満州里をまわるツアーのガイドでした。でも、この旅で、ちょっとしたハプニングがありました・・・

 最終目的地の満州里に向かう列車に乗っていたときのことでした。帰国の日が近づいていたので、念のため、帰りの航空券を確認することになりました。お客さんのひとりが、慌て始めた。帰りの航空券が見当たらないのだという。お客さんはトランクの中などを探し始めたが、どこを探しても見つからなかったのです。そこで、私はすぐ旅行会社に連絡し、連絡を待つことにしました。幸い、ある空港の入国管理所からチケットが見つかったと連絡が入りました。お客さんは空港でチケットを落としていたらしいです。

 ガイドをしているとこういうハプニングはつきものだが、いろいろ対処していくことがものすごくいい経験になりました。

 あと、この仕事はお客さんと仲良くなれるのがうれしいです。そのハルピンのツアーの時も、帰国の日に、「1週間、本当に楽しかったよ。今度はハルピンの氷祭りを見てみたいな。ファンさん、またよろしくね。ありがとう」と言ってもらいました。その後もプレゼントを送ってくれたり、お客さんとの交流は続いています。

 Q:ではせっかくなので、ここで、リスナーの皆さんにハルビンの町の紹介をお願いできますか?

 A:そうですね・・・見所は本当に沢山ありますけど、やっぱりその町並みをじっくり見ていただきたいですね。19世紀末、鉄道の建設のために、ハルピンには多くの西洋人がやってきました。彼らは教会や西洋風建築を多く残しました。今でもハルピンには、西洋風の町並みが保存されています。「東北のパリ」とか「東北のモスクワ」と呼ばれるくらい、とてもきれいな町です。ロシア正教会や、世界で一番広い公園と言われる「東北虎公園」などが有名です。

 あと、気候ですが、中国の東北部に位置しますので、夏はとても涼しいです。避暑地としては最適な場所だと思います。そして、冬には、年に一度の氷祭りが行われます。大体12月から2月の終わり頃まで開催されます。恐ろしく寒いですけど、機会があればぜひ見に来ていただきたいです。

 Q:では、最後にリスナーの皆さんへのメッセージをお願いします。

 A:はい。中国は広いだけでなく、多様な文化を持った国です。それぞれの町にはそれぞれの文化があります。ひとつの町を見ただけでは、中国のことは分かりません。中国を旅する機会がありましたら、ぜひ、できる限り多くの町をまわっていただきたいと思います。そして、私の故郷でもある、美しいハルビンにもぜひいらしてください。

 (終わり)

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