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二つの故郷のためにーー 神戸華僑総会名誉会長 林 同春氏
   2006-07-17 09:59:51    cri

 【プロフィール】

 1925年、中国福建省福清県生まれ。1935年に渡日。呉服の行商を経て、戦後は繊維貿易、不動産などで成功を収め、1963年、中央実業株式会社を設立。神戸の華僑社会のキーパーソンとして、日中間の地域交流や青年交流、歴史を踏まえての相互理解と友情増進に取り組み続けている。自伝書に『華僑波瀾万丈私史 橋渡る人』(EPIC社、1997年)。

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 神戸の北野異人館にある会員制外国人クラブでお目にかかった。関西風のやんわりとした日本語、白髪に長身、飄々として矍鑠。赤ワインをたしなみながら、気さくに四方山話に付き合ってくださった。食事中、何度も、極自然にパンやバターの皿を持ち上げては周りの人に勧め、全員に行き渡ったところで、初めて自分の分をとった。

 3000人の華僑が暮らしている神戸で、「皆の信頼を得るには、『先公後私』(先ずは皆のことを考える)で行動しなければならない」と言う。パンの一枚やバターの一個にも、その姿勢が自然に滲み出ていた。

 林氏の父親は1930年、同郷の伝手を頼って来日した。丹後半島や津山の山奥を、黙々と呉服を担いで行商していた父親の背中が、「まじめに、地道に、こつこつと働くことの大切さを教えてくれた」。そして、母親からは、「決して内輪から金を儲けるな」、「金に余りがあれば、人助けに使え」と諭された。

 終戦直後の物資欠乏時代も、「足で商売する」中国人の勤勉ぶりを発揮し、汗を流し、こつこつと働き続けた。誠実と信用をモットーに掲げ、取引先や顧客と良好な関係を築き、高い人望を得た。1950年、三宮高架下で開いた繊維商店が成功し、幾ばくかの資金を入手し、その後、飲食店、外国貿易や不動産、ボーリング場などへと事業拡大し、1963年、(株)中央実業を創設した。

 異国に渡って70年以上が経つ。日本生まれの華僑二世の妻との間に、五人の子を授かり、今、一族は20人以上になっている。子どもの代の国籍変更に対しては、嫁いで行った娘達の国籍に干渉しない主義だが、林家に嫁いで来た息子嫁の日本籍を中国籍に変更させた。又、自分は決して帰化する気持ちになれないという。戦時中、「敵国人」扱いを受け、心に深い傷を背負ったからである。学校でのいじめ、世間の冷たい目、特高の理不尽な取り締まりと拷問、等等。幸い、同郷人の強い絆に支えられ生き抜くことができた。また、親切にしてくれた日本人たちの名前は、今日でも忘れていないという。

 そのような切実な体験もあり、華僑同士の連帯や、子どもたちへの伝統文化の伝承を重視している。同文学校の新校舎建設、関帝廟の修復工事、華僑総会の創設など、数多くの企画で、資金調達や計画実施の陣頭指揮をとってきた。

 一方、華僑仲間たちと共同購入した明治期に建てた(現国定重要文化財)ハンタ邸の兵庫県への寄贈、孫中山記念館の修繕と県への寄贈、阪神大震災での華僑のボランティア活動の呼びかけなど、自分たちが根を下ろしている地域社会への貢献も怠っていない。さらに、華僑社会のみならず、神戸在住の数多くの外国人の代表にもなり、土地区画整理や国際学校の運営などでも役割を発揮してきた。

 もちろん、祖国や故郷のことも一刻たりとも忘れていない。1972年、香港経由で38年ぶりに故郷に帰省し、その後は、井戸掘りや道路整備の資金の寄付、小中学校の寄贈をしてきた。その生まれ故郷の言葉は話せるが、中国語の共通語は話せないという。日常言語は日本語で、一番好きな料理も日本料理。半世紀暮らしてきた神戸は、紛れもなく「第二の故郷」なのである。

 「戦争の悲惨さと平和の尊さを身をもって体験した者として、両国の理解と友情」を心から願い、「愛する祖国のために、愛する日本のために、愛する両国の人々のために」、「今後も友好と平和を訴え続けていく」。彼の自伝はこう締めくくられている。(文責:王小燕)

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