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人物画画家ーー東 強(あずま つよし)
   2006-07-17 09:59:51    cri
 1951年北京生まれ、本名は張東強(後に「張強」と改名)。1986年来日、日本大学芸術学部、文教大学を経て、1990年から東條会館の専属画家へ。肖像画に長け、内閣総理大臣賞を始め、数多くの賞を受賞。現在、日本を拠点に創作活動に携わっている。

 美術家になる夢を日本で都心から電車に乗ること25分。埼玉のベッドタウンに、東強氏の「アトリエ・ヒマラヤ」がある。

 アトリエはびっしりと油絵で埋まっている。その真ん中に、分厚い布で覆われた一人用ソファーが置かれている。無造作だが、何故か独特のオーラが漂ってくる。「モデルさん用のソファーだ」と東氏は言う。

 父は映画制作所のアートディレクターで、8人兄弟の長男として生まれる。中国美術館裏にある大仏寺幼稚園に入園後、粘土作りで優れた才能があると先生に見いだされ、外国人賓客が幼稚園を訪問する都度、その作品は土産にされていた。その後、景山少年宮でコムギ細工、木偶劇団で人形作りを習い、後の人物画創作の土台が築かれる。

 が、やがて始まった文革で、美術大学に進学する夢が粉々に砕かれ、極寒の東北農村部(「北大荒」)で6年の青春を費やす。マイナス30度の寒さの中でも、酒で塗料を溶かし、絵を描き続けていたという。

 1974年、武漢測絵科技大学の製図専攻に入学。在学中に完成させた毛主席の木版画は、毛沢東氏の逝去に伴い、全国の新聞や雑誌で大ブレークした。大学卒業後、一旦地図関連の研究所に配属されたが、画家になる夢は諦められず、首都師範大学美術科に再び学び、1986年に就学生として来日。

 油絵は来日後に始めたジャンルであるにもかかわらず、その後、油絵の肖像画で数多くの受賞作を世に送り出し、ついに日本美術界で一席を獲得した。「北大荒」で鍛えられた精神力がフルに発揮されたに違いない。

 「当時の中国は、芸術の政治的責任を重んじていた。来日後、縛りが解けたと歓喜していたが、いきなり得た自由を使うすべも知らず、戸惑っていた一時期もあった」と来し方を振り返る。そして、「今でも明確なメッセージを込めて絵を描く」という自分は、「多少なりとも昔の影響は残っている」とも語る。

 「日本で豊富な西洋芸術と接した。この国にはありとあらゆる芸術スタイルが備わっている」。「住めば都」の日本は、氏にとって、数多くの美術的栄養分を吸収した場所でもある。

 一方、地道にサポートしてくれた人たちに、感謝の気持ちを忘れていない。来日まもない頃、バイト探しに入った工場で特技を問われ、その場でスケッチを描いて渡すと、「工場でバイトせんでもよい」と早速絵画好きの知人を紹介してくれた経営者とは、現在も親しく付き合っているという。

 今、一番のテーマは「ヒマラヤ」である。インドや、ネパール、パキスタンを旅した時の思い出が、現地で邂逅した名も無き人々の絵となり、数々の作品から、輝いた目や生き生きした表情が今にも躍り出ようとしている。

 油絵びっしりのアトリエで、今日も東氏は入魂の絵を求めて画架に向かっている。(文責:候楽)

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