日本は自らが他国に被害をもたらしたことを、忘れがちです。その逆に、外国が自らにもたらされた災いは、日本人が死んでも忘れられず、いつまでも残る歴史的情緒となります。したがって、第二次世界大戦を言うと、日本が直ちに思い出すのは、広島と長崎の原爆で、まるで戦争の被害国のようです。だから、なんで謝罪しなければならないのと思うようになります。
犯罪と懲罰は表裏の関係です。他人のものを盗んだ泥棒が懲罰を受けないなら、犯罪を成立しないでしょう。ドイツの歴史的罪悪感は、同盟国が与えた懲罰と正比例です。こうした懲罰は、軍事上だけでなく、政治や社会的な懲罰もあります。軍事上の懲罰は相対的にそれほど長く続きませんが、より長く続くのは、内的懲罰では政治と社会的な懲罰です。すなわち、同盟軍が、戦争の基盤であったナチズムー旧ドイツの政治体制を崩し、すべてのドイツ人に戦争を真摯に反省させるようにしました。
しかし、日本に対する懲罰は完全に軍事上のもので、しかも懲罰された主体は主要な被害国であったアジア諸国ではなく、アメリカでした。もっとも肝心なのは、懲罰は政治の次元に余り触れておらず、例えば、天皇制度と大部分の政府機構、それに軍国主義者が祭られている靖国神社は残されました。すべての戦犯を法律に則って懲罰しておらず、多数の戦犯が短期間の拘束のあと釈放されました。なおさら、社会の次元に触れていないのはいうまでもありません。戦争の悪党であった理論家や記者などをも処罰していません。
ところが、自ら無罪とすれば本当に無罪でしょうか。ドイツのマスコミは、日本が隣国の角度から歴史を見ることができなければ、隣国との和解はいつまでもできないだろうとしています。この角度と姿勢の転換は日本にとって当面もっとも差し迫った課題です。(中国社会科学院外国文学研究所)
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