林さんは25年前、北京放送スタッフの一員として、およそ23年間主に文芸文化番組を担当してきました。林さんにとって、北京時代の大切な思い出は、周恩来元首相に握手していただき、トウ小平氏の通訳をしていたことだということです。
その後、お母さんの看病で日本に戻り、大学で教鞭を取るようになりました。中国語と中国現代文学を教える傍ら、文化面の相互理解に尽くしたいという思いから、中国現代小説『人、中年に至るや』『白鹿原(はくろくげん)』などの名作を翻訳しました。
ほかにも、林さんはいろいろな文化交流の仕事に携わってきました。林さんは、「昨年の末ごろ、韓国のソウルで中国文化センターがオープンした。それは、文化活動や語学、教育、情報提供などを行って、中国文化の普及や友好促進というすばらしい施設で、アジアでも初の試みである。民間交流をより経常的に深く進めているから、日本にもできるよう期待している。政治は冷え、経済は熱いという中日関係の現状の中で、文化交流を熱く盛り上げていくのは何といっても両国の一般民衆である。真の交流には直接の交流に勝るものはない。昨年の人の往来は40万人を超え、両国の人々がさまざまのルートから交流を深めていけるよう切に願っている。水を飲むとき井戸を掘った人を忘れないという周恩来元首相の言葉があるように、私は日本で多少とも中日文化交流の仕事ができたのはみんなのご支援のおかげである。」と語りました。
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