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高原の道路・鉄道の補修工事労働者
   2008-10-31 15:56:06    cri
 パミール高原は中国新疆ウイグル自治区の天山と崑崙山が接する所にあり、ホンキラホはその中の海抜4000メートル余りの山です。ここには一年中のほとんどが雪のある世界となりますが、中国とパキスタンを結ぶ主要な交通要衝とされています。今日はこの人跡まれなところで、世に知られずに22年間働いてきた道路補修労働者、ドリゴン・カニさんのことを取上げてお話しましょう。

 今日の賞品付きクイズはドリゴン・カニさんはなんという少数民族の方ですかです。

 ホンキラホ道路補修所は中国とパキスタン両国の国境線から14キロ離れたところにあり、ドリゴン・カニさんはこの補修所の責任者です。

 四月は季節が春に変わり、中国各地のほとんどで花が満開になり、緑が一色ですが、北京放送の記者はこのほど、ホンキラホに足を運んだ時に、そこの雪はまだ30センチほど積もっていたのです。ここは生存環境がかなり厳しく、一年中、酸素不足などの問題が深刻ですが、ドリゴン・カニさんはこうした厳しい情況のもとで、22年間仕事をしてきました。これについて、ドリゴン・カニさんの上司であるママティ・トルシュンさんは、「私達は五つの道路補修所を管理し、中にはホンキラホ補修所の作業条件が最も厳しいようです。パキスタンに運ばれる貨物は年毎に増え、通行の車両も急増しているので、道路の補修工事も年毎に多忙になっています」と述べました。

   

 作業任務の増加に伴い、従業者が絶えず交替している中で、年長のドリゴン・カニさんは終始、自分の仕事に情熱を燃やして、真剣に従事してきました。

 ドリゴン・カニさんは、「父親は生前、私をしっかりとした人になってほしい。父はパミール高原のタジク族初代道路労働者で、私はその仕事を受け継ぎ働いてきました。また、既にホンキラホ補修所を自分の家だと思うようになった」と話しました。

 ホンキラホは季節的な通関地で、5月1日から9月30日の間は開通しているため、この5ヶ月間もドリゴン・カニさんは一年中のうちで一番忙しい時期となりました。この間、ドリゴン・カニさんとその同僚達は住まいと食事が全て補修所ででき、その他の時間も、ほとんど道路補修で多忙であるため、補修所はまるでドリゴン・カニさんの家のようになりました。

   

 ドリゴン・カニさんの奥さん、アイモクさんも道路補修労働者の後継者で、旦那さんの仕事を支えるため、ずっと在宅し、子供とお婆さんの世話を見ています。旦那さんと一緒にいる時間をできる限り多くつくるため、彼女は町の快適な生活と離れて、子供を連れてドリゴン・カニさんの母親と一緒に補修所の泥作りの家に引っ越してきました。

 「主人は長い間、家へ戻れなくなったので、子供と姑は彼のことをいつも思い、時々補修所へ会いに行きます。そこの生活条件がかなり悪いのですが、一家団欒ができてなによりうれしいです」と話しました。

 ホンキラホ道路補修所の従業員として、ドリゴン・カニさんとその同僚達はより苦労が多く、生命までも捧げていました。この道路では雪崩が頻繁に発生しており、応急修理は日常茶飯事となりました。

   

 1996年の3月、ある貨物運送の車列がパキスタン領土内で雪崩に遭い、非常に差し迫った情勢となったので、ドリゴン・カニさんは救援隊を率いて、マイナス30度の厳寒を押して、救援活動を始めました。彼らは雪が1メートル以上積もった道路を通って、やっと二日間苦境に陥られた遭難者を救出しました。このような救援活動はドリゴン・カニさんにとって、既に何回も体験したことで、彼はこのようなことに会う度、何時も先頭に立って、道路の情況を調べるため、雪洞に落ち、死にそうな危ないことも何回ありました。しかし、ドリゴン・カニさんはこのような誰でも怖がる仕事を自分の義務だと思い、平然と対応していました。仕事上の苦労と危険のほか、父親が3百キロ離れた病院でなくなった時も、ドリゴン・カニさんが葬式に参加できなくなり、これも彼の永遠の心残りとなりした。

 既に40歳を超えたドリゴン・カニさんは自分のこれからの人生も道路補修作業に捧げることにしました。

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