山東料理といいますから、山東に誕生したことはいうまでもありません。
山東は日本との直線距離が最も近い所で、東に海、西に平原があり、湖が点々と散在し、土地は肥え、気候が温和で、物産が豊富であるなど、自然条件に大変恵まれており、中国古代文明の発祥の地の一つです。
確かな歴史的資料によると、早くも4000年前の原始社会の後期、地元の人々は、粟を主食とし、肉食として、豚、魚、貝類を食べ、お酒を飲む習慣が相当普及していたということです。
『尚書・禹貢』の記載によれば、すくなくとも夏代、紀元前21世紀から16世紀、この頃には山東一帯の人々は塩を以て味付けすることを知っていたとあります。ご存じのように「塩は百味の祖」といわれ、調理の中でも決定的な役割を果たしています。
山東料理に鯉の甘醋あんかけという料理がありますが、その当時、今のような精巧な作りではなかったにせよ、黄河の鯉を料理していたことは確かです。
古代の詩を集めた詩集『詩経』にも、「魚を食べるのであれば、河の鯉に限るという句が見られます。つまり、今から3000年前の西周の頃には、魚の中でも鯉が最も美味しいことを知っており、また美味しく調理していたにちがいありません。
山東料理が一つの流れとして、特徴を持つようになったのは、漢代から隋代にかけてのことです。当時の山東は政治経済など各面で進んだ地区でもあり、調理技術の独特な方法や風格を作り上げ、この点でも全国で、トップクラスにありました。
北魏の人、賈思勰はその著書、『斉民要術』の中で、山東地方を含む黄河の中流から下流地区の調理技術ついて割と全面的にまとめて紹介しています。北魏といえば、今から1500年以上も前のことで、『斉民要術』の紹介から、当時すでに山東地方に住む人たちは、焼く、炙る、揚げる、炊く、煮る、塩浸け、糟浸けなど調理技術をつかんでおり、こうした技術を広範な食品の製造に応用していたことが知られます。
山東料理は更に、唐や宋代を経て、ますます大きく発展し、特に元、明清に至っては、風格が一層鮮明になり、調理法も精巧をきわめ、山東料理としての、特徴をもつようになりました。
山東料理の長所はまず最初に宮廷に持ち込まれ、同時に、北京、天津、東北地方に伝わり、中国でも影響力のある中国料理の一派を成します。
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