
13世紀の初め、モンゴル帝国を築いた人物、チンギス・ハーンと言えば、日本では余りにも有名ですね。
そのチンギス・ハーンですが、今でも蒙古族の人々の誇りです。チンギス・ハーンの34代目の孫、チ・イルドニボロトさんは「歴代の蒙古の可汗(王)は即位する前に、必ずチンギス・ハーンの陵墓に参拝しなければなりません。また、庶民でもお茶を飲んだり、ご飯を食べたりする際、一口目のご飯やお酒をチンギス・ハーンに捧げるのです」と言っています。
史料によれば、紀元1227年にチンギス・ハーンは戦の途中で病でなくなり、現在のアルタイ山の南に密かに埋葬されたということです。その遺骨を簡単に見つからないようにしたのかもしれませんが、今でも、埋葬場所は確定されていません。
チンギス・ハーンがなくなってから、その子孫はチンギス・ハーンが使った馬の鞍、旗、鞭などの遺品を八つの白いパオに安置しました。15世紀、これらの遺物は内蒙古のオルドスまで移され、チンギス・ハーン陵にしました。
その後、時代の移り変わりと戦争が原因で、このチンギス・ハーン陵は何回も場所を移されましたが、新中国が成立してから、蒙古の人々の要望に答えて、中央政府がわざわざ代表団を派遣して、オルドスまで迎えたのです。
現在、オルドスにあるチンギス・ハーン陵は草原の中にあります。三つのパオの形をした宮殿が並んでいて、正殿には大理石よりややきめの粗い白い岩石で造った高さ5メートルのチンギス・ハーン像が安置されています。その塑像は大きな地図を背にし、前には香炉が置かれています。また、後ろと東西両側のの殿堂にはそれぞれチンギス・ハーンと三人の夫人のお棺、そして、チンギス・ハーンが使ったとされる金の鞍と祭祀用のミルクを入れる容器が安置されています。
チンギス・ハーン祭祀は蒙古民族で最高の祭祀活動です。この祭祀はチンギス・ハーン陵を守る人にしか主宰することはできません。現在のチンギス・ハーン祭祀の主宰者、グリザブさんこのように言っています。
「私はチンギス・ハーンの部下ボウォルシュの38代目の孫です。私たちの家族は先祖のボウォルシュの時代からチンギス・ハーン陵を守り、祭祀の儀式を主宰する責務を果たしてきたのです。これらの責務は息子に引き継いでもらうことになっています。」
チンギス・ハーン祭祀は毎年春夏秋冬に四回も行われます。祭祀の時には、祭祀用の台を造って、献上品を並べたり、祭祀音楽を演奏したり、拝礼をしたり、賛辞や祭文を読んだりするのです。祭祀はほとんど、夜中まで続きます。このチンギス・ハーン祭祀では蒙古族の古くからの祭祀法が見られます。家畜や酒で祭ることはよくありますが、珍しいと思うのは家畜の乳で祭ることです。
毎年、この四回の大きな祭祀のほかに、チンギス・ハーン陵では日常の祭祀活動も行われます。これらの祭祀は13世紀以降の蒙古の祭祀の伝統をそのまま受け継いできました。チンギス・ハーン祭祀について、オルドス研究学会のチ・チャオロ会長はこのように話しています。
「蒙古人全体の祭祀場所として、チンギス・ハーン陵はずっとオルドスの蒙古人に守られ、祭られてきました。その祭祀の内容も700年前と変わっていません。」
チンギス・ハーン陵の近くに世界で唯一の蒙古歴史文化博物館があります。その中には蒙古の歴史や文化を表わす文化財のほかに、長さ206メートルの油絵が展示されています。この絵は写実的な手法で、蒙古民族の起源から、チンギス・ハーンの出生、元が滅びるまでの歴史が描かれています。
チンギス・ハーン陵を見学してから、近くの蒙古族の人の家を訪れ、羊毛を紡ぐ方法も実習することができます。そして、「天下一のパオ」と呼ばれるレストランで、蒙古料理を堪能しながら、蒙古舞踊を楽しむこともできます。
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