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法門寺について
   2006-06-13 14:04:06    cri

   

 法門寺は西安から138キロ離れた扶風県の北法門鎮にあり、後漢の恒帝と霊帝の時代(147?89)に建立された寺院です。境内には仏舎利を収蔵したという塔があったことで有名です。

 後漢時代から北魏時代まで、法門寺は古代インドの国王阿育王(アショカ)にちなんでアショカ寺と称されました。釈迦牟尼が入寂した200年後、(前272?前226)仏舎利を八萬八千四百に分骨して世界各地の仏教寺院に供養されたと伝えられています。中国では19基の仏真身舎利塔が建立されました。法門寺塔はその中で第五基といわれています。

 隋の文帝開皇三年(583年)にこの寺は成実道場と改名され、唐の高祖の武徳七年(624年)に法門寺と名付けられました。

 法門寺塔は最初四層の木造塔でしたが、明代に潰れてしまったので、明の神宗は万暦七年(1579年)にこの塔を高さ54メートルで十三層の煉瓦造りの塔に造り直しました。塔の二層目から十二層目まで、各層にそれぞれ八つの仏壇があり、その中に銅製の仏像と菩薩像が一体ないし三体安置され、合計104尊あります。ほとんどの仏像の背に文字が刻まれていて、刻銘の内容から、これらの仏像の奉納者は主に明代の官僚であったことがわかります。仏像のそばに南宋と元の時代の写本の経典と復刻の経典が置かれていました。

 清の順治年間(1644?1661)に地震が起きたため、塔が傾き、中に亀裂が生じました。また、1981年8月24日に雨で塔身の側面の半分が倒れたため、1987年1月から塔を修繕し始めたところ、4月3日、塔の地下に地下宮殿を発見し、後旧暦4月8日、地下宮殿の後室で一枚の仏の指舎利を発見しました。

   

 この指舎利は八重の宝石箱の最も内側の、八重目の純金製の小さい塔の中にある銀柱の上に挿してありました。この八重の宝石箱は、塔の懿宗が奉納したもので、金・銀・珍珠・漢白玉石・白檀などを材料として作られています。八重の宝石箱の両側には石刻の四天王が舎利を護持者として侍立しています。二つ目の指舎利は地宮にある漢白玉石製の小さい塔の中に安置してありました。三つ目は地下宮殿後室にある小龕の中の鉄製の箱にありました。この鉄製の箱の上に「奉納皇帝敬造釈迦牟尼仏真宝函」と刻まれています。四つ目の指舎利は地下宮殿の前室にある彩色の菩薩舎利塔の中に安置してありました。これまで、釈迦の指舎利と称される舎利は四つ発見されましたが、釈迦の本当の指舎利は一つだけです。これは「霊骨」と呼ばれ、他の三つは「影骨」です。影骨は霊骨から複製したものですが、仏教の世界では影骨もやはり聖骨で、仏の真身舎利と考えられています。この四つの指舎利は世界で始めて発見されたもので、現在も指舎利はこれしか存在しません。

    

 その他、法門寺塔の地下宮殿からは首の無いガラスの壷、青い釉薬の水差し、純金の糸で刺繍した礼拝用のクッション、真珠の瓔珞を付けた金めっきの菩薩像が出土しました。さらに、金銀の器131点、錦、綾、羅、紗などの織物700点、珍珠や宝石400点、ガラスの器17点なども発掘されました。皿や碗、瓶の上に青、黄、緑、白などの色がつけられ、とても綺麗です。ガラスは西域から中国に伝えてきたもので、西アジアの特徴があります。これらの珍品の中で純金の「単輪十二環錫杖」は非常に精巧です。

 法門寺は長い間皇族の御用寺院として歴代の皇帝から崇められていました。北魏の時代に、仏塔の地下宮殿を開いて、釈迦の指舎利を見せたことがあると伝えられています。唐代のほとんどの皇帝が仏教を崇拝し、法門寺の仏骨を何回も宮廷に迎え盛大な行事を行いました。俗伝によれば、法門寺塔の舎利は三十年毎に開帳されたが、唐代の末期から沈黙しつづけたそうです。その塔の地宮に納められた釈迦牟尼の真身仏骨の舎利や歴代の皇帝が供養した金銀などの宝器は人々が思う以上の逸品です。

 法門寺での発見は世界にも仏教界にも喜ばしい出来事でした。法門寺の地下宮殿からの出土品を完全に保存するために法門寺博物館を建て、観光客は博物館で数多くの珍品を見学することができます。

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