料理はまず火を使うことから始まりますが、まだ本当の意味での料理とはいえず、ただ生ものを焼いただけにすぎません。それでも料理の発展史の中では大変重要な第一歩であったといえましょう。
更に海辺に住む人類が、海の水を煮て塩をつくるようになり、味つけが生まれます。それでも調理技術とはいえません。調理するには、道具がひつようです。今から、6000年ほど前の新石器時代に入りますと、石の包丁が誕生し、調理に必要なうつわ、土器や陶器の発明によって、煮ること炊くことをおぼえ、蒸す方法も生まれ、こうして、はじめて、料理らしきものが誕生します。人類の定住生活と、家禽家畜の飼育の普及、農地開墾が進むにつれ、料理に必要な材料の多様化と道具の完備化が実現する中で、調理技術は大きな足どりで前進しました。
料理の発展を促した最大の原因は、都市の誕生にあります。杜氏の人口が増えるにつれ、生活の必要から、料理屋、居酒屋、茶楼などが町並みに現れ、都市人口がふくれると同時に、都市もますます繁栄し、それにともなって、中国の料理も発展の一途をたどって行きます。
ところで、北京の周口店で発掘された北京猿人は、火を使っていたことが、その遺跡から実証されていますから、北京猿人が肉を焼いて食べていたことは疑いの余地はありません。
今から一万8000年ほど前の古代人類、山頂洞人はその後期、すでに新石器時代に入っており、石の包丁を使い、肉を細かく切り、土器もつくれるようになり、ただ火であぶるだけでなく、煮て食べるようになり、それまでは、食用できなかったスッポンも、その頃から料理されるようになります。スッポンを焼いて食べるのは一寸無理でしょうが、石の包丁でさばいて、土器を使ってとろ火でゆっくり煮れば、美味しい料理ができます。それを一万年程前の人がしっていたのです。
これより更にあとになりますが、それでも今から6000年ほど前の原始社会の遺跡、西安の東郊外で発掘された半坡村遺跡から色々な形の陶器が出土していますが、その中に、底にたくさん穴のあいているかめがありますが、これは現在のせいろに当たるもので、6000年前の原始社会に生活していた人々が、物を蒸して食べ、この頃にはむすという調理法が相当普及していたことを物語るものといえましょう。
中国人の祖先は、火を使うことを知ってから、数千年、生物を焼いて食べていましたが、新石器時代に入って、土器、更には、陶器をつくり、調理法から、更に煮る、蒸すことを覚え、更に進めば、油を使って炒めたり、揚げたりする調理技術に達するわけですが、これは更に、後のことになります。
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