お元気ですか、北京は(1)蒸し暑い日が続いていますが、皆さんの所はいかがでしょうか。
さて、中国では(2)一大出来事とも言える(3)大学センター試験が終わったばかりです。先週の七日と八日、二日間でした。今日で一週間経とうとしていますが、そのあり方にまつわる討議は、まだ新聞、テレビ、ラジオ、ネットでよく行われています。父母が(4)受験生を学校まで送る必要があるのか、(5)栄養剤を飲ませていいのか、人生を決めるため大学試験に頼るのはいいのかなどがあります。このほか、(6)試験場になっている学校には、静かさを保つために、道路を封鎖する学校もありました。これだけではなく、試験の二日間は、受験生がもし(7)遅刻しそうになった場合、(8)パトカーで送ってくれるし、タクシー送迎を(9)ボランティアもあります。まさに社会総動員の感じです。子供がこんなにも過保護されて、一人前に成長できるのかどうか、と心配する人も少なくないようです。
しかし、1人の父親の話には感心させられました。「人生は苦労が多いから、今から目的達成のために努力をすべきだ、世の中は甘くないという道理を知ってほしい。大学の受験勉強は残酷だが、避けては通れない」と話しています。なるほどと思いました。今の子供は物質的に恵まれているので、大学の受験勉強はいい(10)試練かもしれません。
ところで、大学試験は、私にとってもう20年前のことですが、受験の二三年前は、まさに猛勉強でした。今(11)振り返っても、あのような勤勉さ、集中力、時間を大切にすること、目標に向かって全力を出すなどは、二度とない経験と思っています。大学に入学してから、もう二度とああいう辛い思いはしたくない、やっと開放されたと思いましたが、今になって、あのときの経験は少なくとも忍耐力が養われた、いい経験だったと思います。私個人としては、感謝したい気持ちです。
さらに、私にとっては、毎年大学受験の時期になると母を思い出します。試験の最後の科目が終わるのが、昼間で、試験場から出ると、母が微笑みながら(12)校門で迎えてくれました。どう、(13)おなか空いたでしょうと言っただけでした。市場を通るときに、(14)焼立てのパンを買ってくれたのです。多くを話さず黙々と混雑した市場を通り、バス停へ向かいました。毎年、大学の試験の時期になりますと、当時の母の笑顔や市場などが思い出ます。故郷を離れた私の、精神安定剤のような存在でした。私と同じような思いを持っている人は少ないと思います。これが(15)中国式の大学試験と言えるでしょうか。
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