北京は猛暑が続いており、雨が少ないです。
さて、中国や日本の書画界で非常に(1)名高い人がいます。彼は、満族の愛新覚羅・(2)啓功先生です。先生の(3)書は、中国人にとって親しまれているのが、大学や大企業などの(4)看板です。北京市内を見て回れば、その字がよく目に止まります。(5)上品で、清らかさの中に力強さを感じさせます。有名な書家がこんなに多くの書を公にさらし、その価値が落ちるのではないかと、私は思ったことがあります。(6)謙虚で温和な人柄から書を求めに来る人を殆ど満足する報道を読んで、(7)納得できました。啓功先生の(8)人柄は、先生の別の観点からも推測できます。骨董品市場に出回っている偽物の自作を見て、怒るのではなく、「この字は私の字よりはるかに上手」と(9)冗談半分に言うだけでした。
先生の書家、教育者、学者、詩人、画家、卓越な文物の鑑定家の肩書きは、15歳から絶えず数多くの学者に(10)弟子入りしたことによるものです。自ら努め励んでやまない精神力が伺えます。大学は出ていませんが、中国国学のトップの座に座り、72歳で北京師範大学の(11)博士課程の指導官に指名されました。そして、(12)チャリティー書画販売で得た160万元、日本円の2400万円相当分を寄付し、奨学金基金を設立しました。
丸顔でいつもニコニコしている啓功先生は、自分の(13)愛新覚羅という皇族の名字については、「私の(14)名字は愛新覚羅ではない。愛新覚羅という名字の(15)栄光と屈辱はまったく政治に(16)操られている。今になってこの名字で満足するものではないから、愛新覚羅と呼ばれたくない」との気骨を明かしました。
先生は北京師範大学の教授で、私が在学の当時、残念ながら授業を受けたことはありませんが、印象に残っているのは、玄関に入って正面の位置にある縦ほぼ10メートル、横幅およそ3メートルの看板です。そこに教訓が書かれ、(17)「学は人の先生になるため、行動は世の中の模範になるため」という言葉です。
このように学術の面で抜群な成果を残し、人間的に優れた啓功先生は6月30日の未明、92歳でなくなりました。(18)先生のご冥福をお祈りします。
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