北京は最高の季節を迎えているため、(1)爽やかな日が続いています。日本でも、秋の気配がするようになったでしょうか。
さて、国慶節の大型連休を利用して、西安の近くにある町、韓城へ行ってきました。(2)ガイドブックやネットであまり紹介されていないだけに、思いがけない興味深いものが多かったです。
この町は、史記を書いた(3)司馬遷の故郷なので、司馬遷を祭る(4)廟を見に来ました。200メートルぐらい小高い山の上に建てられたこの廟は、墳墓もありますが、今のものは、なんと750年前のモンゴル人の(5)フビライ・ハーン(在位1260ー1294)が再建したそうです。モンゴルのパオを思わせる丸形の墳墓は、松の木に囲まれ、(6)遺物だけが葬ってあるようです。これを念入りに(7)建て替えた理由は、司馬遷が史記に、当時漢と戦った(8)匈奴の将軍なども書き込んだからだそうです。モンゴル族の先祖とされる敵の民族を軽蔑せず客観的な態度で紹介することに、フビライは感動したとのことです。その前にある(9)石碑は、それから300年ぐらい経った、清の時代の地元の漢民族の高官によって建てられたものです。この石碑を撫でると子孫が利口になり、(10)出世できると言われているので、その表面はつるつるになっています。ゆったりと流れる黄河の辺に静かに立っているこの墳墓は、このようにいろいろ歴史を物語っています。
また、この廟の前を流れる小川を跨ぐ橋は、2車線ぐらいの幅ですが、千年ほど前から使われ続けてきたと紹介されました。明るい日差しを受け、自転車や車がなにげなく走り去るのを見ながら、(11)往時を想像し、タイムマシーンで歴史を(12)遡る感じがしました。
このほかに、タクシーで20分ぐらいかかる山奥に行ってみました、党家の村があります。約700年前の元の時代に、戦乱から逃れた党という家族が、この山奥に移り住み、いまでは1500(13)世帯まで拡大しました。その一つ一つの家庭を単位とする四合院は、北京の四合院より狭く、2階立てが多く、1階に人が住み、2階は倉庫になっています。水道がなく、依然として井戸を使っているこの古い村は、昔からずっと重視されてきたのは教育で、科挙はもちろん、今でも毎年数人の大学生を送り出し、国家公務員を含めた(14)エリートが少なくありません。
今回の連休の旅は、長距離列車で18時間というハードな列車旅行でしたが、歴史の(15)雄大さをしみじみと感じさせる体験を与えました。
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