北京は(1)肌を刺すほどの北風が吹くシーズンになったが、皆さんの所はいかがでしょうか。
この間、中国で(2)オークションに出された200件あまりの(3)磁器に(4)思いを馳せてしまいました。白い生地に藍の染付け自然風景、花、(5)珊瑚、芭蕉、仏教の仏具などの(6)模様が書かれたもので、丸い形や、楕円形と蓮の花の形をしたものもありました。おわんや瓶のほか、武器類のものもありました。
これら(7)染付けの特殊なところは、(8)スイス人によって(9)マラッカ海峡の海底から(10)引き上げられたものだが、400年ぐらい前にこの海峡で沈没した(11)ポルトガル商船だそうです。引き上げられた磁器の重さは10トンにも達したが、ほぼ完全な形に保たれたのはおよそ3000点もありました。
400年ぐらい前、マラッカ海峡は中国から出発し、インド洋を経て、アフリカや西アジアまで達する、いわゆる(12)「海のシルクロード」の通路で、行き交う東西の商船などで賑わっていました。ヨーロッパや(13)アラビアからの商船は中国南部の港町、(14)広州、(15)泉州、(16)南京などでお茶やシルクのほか、大量の磁器をつんで置きました。これら磁器の一部は注文されたものだが、大部分は(17)高波や海風から船を守るための重りとして使われました。当時、これらの磁器は大きさや重さから見ても手ごろなものだからでした。
中国人鄭和の西洋への航海とポルトガル人の大航海などによって繁栄したこの海のシルクロードを行き来する東西の商船は、いずれも季節風を利用してスケジュールを組んでいたので、一回の出航は一年またはその以上かかったようです。引き上げられたポルトガル商船は、品物や注文の(18)景徳鎮産の青磁のほか、(19)重りとしての染付けを船底に一杯積んでいたに違いありません。
これらの染付けを見て、当時の(20)乗組員たちが数ヶ月に渡る航海でどのように生活したのか、彼らの家族はどんな思いで帰りを待っていたのか、そして外国人のために染付けを焼いた景徳鎮の人々の暮らし、外国人との付き合いなど、どんなものだったのか、多くのことを想像させてくれました。これら(21)精巧な青磁にはきっとさまざまな(22)物語が潜んでいるにちがいありません。もしかしてその中には、もう一つのタイタニックの物語があるかも知れません。
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