今日は、今年1月4日、北京でなくなられた陳真先生を(1)偲ぶ特集をお送りします。
陳真先生は、1932年に日本で生まれ、その後台湾に渡り、中国へ(2)帰国し、1949年17歳の時に北京放送に(3)入局しました。1973年以来中国語講座を担当し、国内向けにも日本語を教えていました。1991年から10年ぐらいNHKで中国語講座に出演しました。陳真先生の(4)ファンは日本ばかりでなく、中国にも多いです。今、リスナーの皆さんから陳真先生を偲ぶ(5)お便りをたくさんいただいています。これらの内容を綴りながら陳真先生を偲ぼうと思います。
福井県の宇野 肇さんからお便りです。陳真先生のことを小さな巨人、人類の宝石と(6)称えています。
1974年11月4日から19日まで、「東海北陸労働者訪中団」の一員として、まだ文革中の中国を訪問することができました。北京放送局の方宣先生、陳真先生など三人様が、私のためにお越しくださったのです。あいにく私は不在でしたので、先生方は待つこと二時間有余、私共はホテルに戻りますと、フロントの方が「お客様がお待ちです」と告げられました。私はわくわくしながらお会いしたのです。
いつも放送で美しい日本語で丁寧にお教えくださる先生に初対面です。私にとってはこの上なき光栄でした。初対面の先生は気品のある、愛のある、やさしい、そして美しい方で慈母観音様のように思われました。今回の訃報に私のみならず、日中友好に携わった多くの日本の友人、また北京放送の中国語会話教室で学んだ幾十万の日本の友人すべての悲しみです。
次は、陳真先生の暖かい(7)人柄に(8)引かれている大阪府堺市の麻 和穂のお便りです。
10年近く前NHKラジオ講座から流れる陳真先生の声に魅せられました。柔らかくかわいい声で話される日本語が本当に美しく、こんなにきれいな日本語を耳にしたのは初めてのように思いました。暖かいお人柄も偲ばれ、大ファンになりました。当時中国語を学んでいた仲間の間でも評判になったものです。番組で紹介してくださった北京の物売りの声も楽しく聞かせていただきました。
次は いわ来市の森 正次さんは、お便りの中で、
陳真先生が東京に出張中、地元いわきにお迎えし、日中友好協会いわき支部の皆さんと一緒に中国語の発音指導をしていただきました。また、各地を案内してとても楽しいひと時を過ごしました。先生のとても優しいお人柄に接し、またお会いしたいと思っておりました。
私も森さんと同感です。そして、陳真先生の人柄に引かれている方もずいぶんいます。大阪府泉南郡の藤田美代子は、「陳真先生のすばらしい北京語と日本語の発音だけでなく、彼女のたぐいまれな人間味に溢れ、同情心に富んだ人柄と心より惜しみます」というメッセージを書いてくださいました。。
また、同じ教師として、陳真先生に励まされている方もいます。
和歌山県伊都郡の山田 恭久さんは、次のようなお便りを寄せています。
私は陳真先生から中国語を教わりました。学生のころに英語と中国語を勉強していた私は「楽しい中国語会話教室」で陳真先生から手ほどきを受け、その時のスキットの録音も持っています。私の宝ものです。私は高校の教師で、英語や中国語などを教えるときでも陳真先生のように分かりやすく、楽しく教えられたらと思ってきました。私の理想の先生でした。
福岡県北九州市の森進治さんは、「東京にいたときお会いし、又、NHKラジオ、TVなどで(9)やさしくお教えくださったことに(10)応えるため、今後ますます、中国語学習に精進する所在です」と書いています。奈良県大和高田市の久保功さんは、「中国語の勉強として、陳真先生の放送をビデオに録画しました。(11)丸顔で、めがねをかけ(12)ソフトな語り口は非常分かりやすいものでした。」、福岡県柳川市の近藤 藤利さんは、「陳真先生の日本人も及ばないような美しい標準語に驚いたことを思い出しました」、北海道札幌市の近藤 義弘さんは、「30年ぐらい前、中国語初級講座を聞き、今も当時の(13)オープンニング「字母の歌」を懐かしく思い出しました」という内容を中国語で書いてくださいました。このほかに、京都市南区の池田 千秋さん長崎市佐保市の太田 昌代などは、丁寧なご指導や(14)エッセイに親しんでいたとのメッセージをいただきました。外にも、たくさんのリスナーからお便りをいただいていますが、時間の都合で全部紹介できなくて、本当にすみませんでした。
みなさんのお便りを読んで、とても考えさせられたことは、陳真先生はご自身の優しさ、まじめさな人柄で、人々に感動を与え、これが中日友好につながっていたことです。もし、私たち(15) 1人1人が同じように付き合っていったら、中国と日本はいつまでも仲良く結ばれていくのではないかと思いました。私は放送局に入局した後、仕事で陳真先生の自宅に二三回(16)伺っていましたが、NHKで仕事をなさったときも、自費で(17)アナウンサーコースに参加したり、(18)アナウンスの(19)技を磨かれたことを聞いて、びっくりしました。みなさんにこんなに受けられている(20)裏には、絶えず努力に励むことによるものだったと分かりました。陳真先生でさえがんばっているのに、後輩としては怠ける理由はないと、思っています。
陳真先生への思い出は、中国人も日本の方も同じで、陳真先生に引かれた理由は笑顔、優しさ、声の美しさなどです。陳真先生の影響で、中国人は日本語を、日本の方は中国語を習う意欲が植え付けられ、両国の交流に花が咲いたのです。まさに、リスナーのおっしゃたとおり、陳真先生は小さな巨人です。
陳真先生についての話は、放送すれば(21)きりがありません。時間の都合でこの程度お許しください。今年はちょうど第二次世界大戦終了60年に当たり、このような(22)節目の年、陳真先生の崇高な精神を(23)受け継ぎ、中日友好のため、ひいては平和のために力を合わせていきましょう。
では、2004年から2005年度までの「北京てくてく」はこれで終了です。来年度の「北京てくてく」も引き続き私が担当することになっています。どうぞよろしくお願いします。再見。
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