2日に開かれた「清光緒帝死因」研究報告会によりますと、歴史的な懸案となっていた清の時代の11代目皇帝・光緒帝の死因を巡り、論争が続いていましたが、光緒帝は「胃腸の急性ヒ素中毒」で死亡したと確認されたということです。
この謎を解くため、2003年から中央テレビ局、清西陵管理処、中国原子力科学研究院、北京市公安局法医学検査鑑定センターなどが専門家を集めて、「清光緒帝死因」調査グループを成立しました。光緒帝の墓(清西陵)から取り出した毛髪、遺骨、衣類に対し、研究を行いました。
清の光緒帝は1871年の生まれ、清朝の第11代皇帝でした。即位したのは3歳の時であり、当然実権は西太后が握っていました。光緒帝は、清の国勢回復を強く望み、康有為らによる変法運動への興味を強く持つようになり、西太后の傀儡を脱し、自らの手で清の中興を成し遂げようとしました。しかし、変法運動が失敗した後、光緒帝は西太后に10年間も軟禁されました。
1908年11月14日夜、光緒帝が崩御した翌日、西太后も74歳で崩御しました。光緒帝と西太后死亡時期が近いため、自分の最後を悟った西太后が光緒帝を自分よりも長生きさせないために毒薬投与により暗殺したとする説があります。しかし、犯人はまだ不明で、今後の調査が待たれます。(翻訳:洋)
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