抗日戦争中、河北省中部の平原に住む人々は、現地の土地構造の特徴から「地道戦(地下道戦)」という巧妙な戦闘方法を考え出した。穴と穴を地下道でつなぎ、さらに家と家、村と村をつないで地下道網を作り、進退攻守に使った。地下道は大半が地下2メートルの深さに掘られている。地下道の高さは1~1.5メートル、幅は0.8~1メートル。戦闘用の軍用地下道と、民衆の避難に使われた民用地下道がある。照明や道しるべもある。地下には食糧貯蔵室、厨房、トイレ、休憩所などが作られていた。(編集SN)
「人民網日本語版」2005年8月9日