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白山黒水の間で日本侵略軍に抵抗する
   2005-07-20 17:41:54    cri

 東北抗日連軍は中国で最も早く組織された日本侵略軍に抵抗する軍隊で、極めて困難な環境の中で、14年間悪戦苦闘し、中華民族の抗日戦争に壮烈な一頁を作り出しました。

 中国の東北地方には、長白山と黒竜江があるので、人々に「白山黒水」と呼ばれています。

 1931年9月18日、日本軍は遼寧省瀋陽市の駐屯軍を砲撃し、公然と武装侵略を起こし、3ヶ月も満たない時間に資源豊かな東北の黒竜江省、吉林省、遼寧省の三省を占領しました。これは、日本軍国主義がまず東北を占領し、その次に華北へ侵入し、その後中国全土を侵略するという既定計画の第1段階であったとのことです。

 東北三省を占領した後、日本軍は東北で、政治的圧迫、経済略奪、日本文化の強制的注入を全面的に強化し、東北の3000万人余りの人民は非常に苦しい境遇に陥りました。

 日本軍の侵略に対して、屈伏しない東北人民は直ちに抵抗をしました。前後して抗日義勇軍、東北人民革命軍などを発足させ、これらは東北抗日連軍の前身となりました。

 吉林省の白山市に住む黄殿軍さんは13歳の時抗日連軍に参加しました。

 「日本軍は中国を侵略した後、焼きつくし、殺しつくし、奪いつくすという三光作戦を実施し、あちこちの住民は全て団結しなければならない。団結しない人は殺される」と述べました。

 13歳の時、黄殿軍さんは東北人民革命軍第2軍隊に加入しました。

 1936年、中国共産党の指導の下で、黄殿軍さんを含む東北人民革命軍などの抗日部隊は正式に東北抗日連軍として編成されました。

 日本軍侵略地区で闘争を堅持していた東北抗日連軍は、環境は極めて困難でした。中国抗日戦争史学会の何理会長はその戦闘の具体的な情況を詳しく調査しました。何理会長は、「東北が占領された後、抗日連軍は東北で単独に組織された武装部隊となった。その作戦は後方勤務のない作戦で、出会った困難や直面した敵は他の地方より大きい。連軍の戦闘環境も非常に複雑だった。それにもかかわらず、連軍はやはり生きぬいた」と述べました。

 敵の後方で戦闘するから、抗日連軍は遊撃方式しかできませんでした。東北地区は天候が寒くて、毎年の3分の1は白雪に覆われ、白山黒水の間で戦闘していた兵士たちは夏には楽に過ごすことができますが、冬になると森林の中で大雪の深さは膝までになり、歩くのに非常に不便で、その足跡もいつも行方を暴露します。さらに困難なのは、食べ物や住む所がないことでした。黄殿軍さんは、「環境が悪いから、兵士たちは病気で死亡したのが少なくない」と述べました。

 このような困難な条件の下で、抗日連軍は東北三省で戦っていました。長期に亘る戦闘の中で、楊靖宇、趙尚志、趙一曼などの有名な抗日将軍が輩出しました。

 楊靖宇は東北抗日連軍の指導者で、楊靖宇ら将軍の指揮の下で、抗日連軍は東北地方で日本軍に大きな打撃を与えました。そこで、日本軍も鎮圧を強めました。力を温存するため、1940年ごろ、抗日連軍の大部分は旧ソ連に入り、残した部隊も隠れました。黄殿軍は負傷したため残され、抗日戦闘が勝利するまで闘争を堅持していました。

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