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好来宝の達人、ラシオスルさん
   2007-10-16 14:23:09    cri
 ハオライボォ(好来宝)はモンゴル族の民間芸能の一つで、日本の浪曲の形と似ています。胡弓の伴奏に合わせて、物語を語ります。ハオライボォは韻を踏み、リズム感がよく、四本の弦の胡弓で伴奏するものです。その歴史は紀元12世紀までさかのぼることができます。

 今週のの番組の主人公、ラシオスルさんは、ハオライボォの達人で、もともと中国北部の内蒙古自治区のホルチン大草原の羊飼いでした。1965年、若者のラシオスルさんはほかのモンゴル族の歌手や踊り手と一緒に、7ヶ月間にわたる全国公演を行いました。当時の公演はちょうど夏で、北方の涼しさになれたラシオスルさんは南方の蒸し暑さには耐えられなかったそうです。

 ラシオスルさんは当時の状況について、「湖南省での公演は大変だった。公演が終わった後、服も靴も汗でびしょびしょにぬれてしまった。夜は蒸し暑くてなかなか眠れないので、氷を抱きながら寝た。声がかれたため、喉に薬を注射して我慢していた」と語ってくれました。

 公演の時は、ラシオスルさんの人気が一番高かったそうです。ラシオスルさんの出番になると、会場がかならず沸き立ちます。踊りでも歌でもハオライボォでも、その出し物にかかわらず、彼が登場しさえすれば、会場が沸き立ちます。ステージの上に10人いても、みんなラシオスルさんにだけ注目していたそうです。

 65年前、ラシオスルさんは貧しい牧畜民の息子として生まれました。ラシオスルさんのおじいさんは地元で有名な民間芸能の達人で、おじさんも全国的に知られたハオライヴォの名人でした。ラシオスルさんは子供のころから馴染みのハオライボォに興味を持つようになり、13歳の頃、デビューしました。もちろん本業は羊飼いでした。

 デビューした当時のことについて、ラシオスルさんは、「1956年、地元でナダム大会が開かれた時、13歳の私は初めて舞台に立った。ハオライボォでナダム大会の様子を紹介して、みんなを喜ばせた」と話しました。

 ラシオスルさんのデビューは大成功でしたが、お父さんはたった一人の息子が芸人になることに反対していました。このことについて、ラシオスルさんは「昔、みんなはハオライヴォの芸人のことを蔑んでいた。父は、ハオライヴォの芸人になっても、結局金持ちを喜ばせるだけになってしまうと思い込んでいた」と話しました。

 お父さんがハオライヴォを教えてくれないので、ラシオスルさんはこっそりと学ぶしかありませんでした。ハオライヴォの達人が家を訪れた時に演じたものを、ラシオスルさんは黙々と覚えました。そして、羊の放牧をする時に、その達人のまねをして友達の前で演じました。当時のことを思い出しながら、ラシオスルさんは話しました。

 「放牧する時に、4、5人の友達と地面に座り、友達の前でハオライボォを演じた。まず友達に、昨日、ハオライボォの芸人が君のところに行ったかと聞く。もしその答えが『来なかった』であれば、その芸人の真似をする。胡弓がないので、2本の棒を手に持って叩きながら歌った」

 ラシオスルさんは16歳のころ、地元の烏蘭牧騎という芸術団体に採用されて、プロの芸人になりました。烏蘭牧騎は内蒙古の大草原で活躍している芸術団体で、そのメンバーのほとんどは牧畜民から採用してきたものです。これらのメンバーは、自分の特技はもちろん、複数の芸ができる立派な芸人たちです。

 1960年代、ラシオスルさんはウラン牧騎のメンバーとして、内蒙古の各地を回り、色んな演し物を牧畜民の家の前で演じていました。当時は、交通が不便なため、一回公演に出かけると、半年以上旅を続けるという状態でした。

 徐長河さんは内蒙古のラジオ局のベテラン記者です。ウラン牧騎のメンバーに何回も同行して、民間芸能の取材を行っていました。徐さんは当時のことを思い出しながら、次のように話しました。

 「彼らは春に草が萌え出す頃から農村部や辺鄙な牧場を回り、秋にまた戻ってくる。当時の交通手段は馬車か牛車しかないし、数百キロの道のりを旅するものだった」

 ラシオスルさんの奥さんは子供を産むときに難産で病気になり、30年たってもずっと直らないままです。ですから、奥さんの世話をするため、ラシオスルさんはこの30年、公演するたびに、かならず奥さんを連れていきます。

 ラシオスルさんには4人の子供があります。しかし、子供が産まれた時、ラシオスルさんは一度も奥さんのそばにいませんでした。末っ子が産まれる時、ラシオスルさんは新しいハオライボォの収集に行っていました。この時は、今度こそ、妻のそばにいるべきだと覚悟して、早めに仕事を終わらせて家に駆けつけようとしました。

 ラシオスルさんは当時のことについて、「その日、事務所についた途端、電話が鳴った。電話の相手は『奥さんが今、難産をしている』と言った。本当にびっくりした。すぐ車に乗って、家に駆けつけようとした。気候が温かくなって、故郷の凍りついた川が解けてしまい、川を渡ることができなかった。遠まわりしてやっと家に着いたが、家内はもう子供を生んでいた」と語りました。

 ラシオスルさんは奥さんに対して、ずっとすまなさを感じていました。去年、奥さんの61歳の誕生日に、ラシオスルさんは「妻への内緒話」というハオライボォを作りました。

 ところで、内蒙古の大草原に生活している牧畜民たちはハオライボォを生活の重要な一部分と見なしています。でも、小さな町にもテレビやインターネットなどが浸透しつつあります。みんなはウラン牧騎にだけ興味を持つことがなくなり、ハオライボォなどの民間芸能もだんだん人気がなくなりました。民間芸能の現状について、ラシオスルさんの気持ちはとても複雑です。

 2002年、ラシオスルさんは芸人を辞めました。でもハオライヴォへのこだわりからか、まもなく病気になってしまいました。手術を受けたラシオスルさんは幸い、4、5年後に全快し、また民間芸能の復活に取り組み始めました。

 戴宝林さんは民間芸能を復活させる事業を担当している責任者です。戴宝林さんの話によれば、ラシオスルさんは民間芸能を守るため、芸人に民間芸能を紹介する本を書いてもらったり、民間芸能の後継ぎを探してもらったりしました。彼の努力によって、地元のモンゴル族の小学校には、民間芸能を伝承するための芸術クラスが設けられました。

 ラシオスルさんはリタイアした後弟子を募集しましたが、そのうち、13歳のノハイレハンさんという弟子がいます。ラシオスルさんがデビューした時の年齢と同じです。ノハイレハンさんの歌声から、民間芸能の未来が聞こえると思います。(文:KH)

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