20年前、北京市民にとって、練炭は生活必需品でした。冬になると、胡同の一角から練炭作りの音が聞こえてきます。そこは、胡同の中にある練炭屋です。北京市民はそこで練炭を買い求めます。木枯らしが吹く頃、人々は、コンロの清掃をしたり、煙突を取り付けたり、冬の準備で忙しくなります。通路の両側にずらりと並ぶ練炭は、北京の当たり前の風景でした。
史書の記載によると、北京での石炭採掘は元の時代から始まったということですが、市民が使用するようになったのは、100年前の清代、光?皇帝のころからだということです。当時、練炭運搬はラクダに頼っていました。ラクダの行列が阜成門一帯をゆったりと進む光景は冬の風物詩でもあったのです。心地よい鈴の音も響き渡っていました。1920年代のころになると、鉄道が開設したため、大量の石炭が北京に入り、当時の主なエネルギーに取って代わったのです。
石炭はまず練炭屋に運ばれます。駅に近いなど、交通の便のいいところには、最初に練炭屋ができました。しかし1950年後半、三輪自動車の登場によって、練炭は狭い胡同の奥まで運ぶことができるようになり、そこにも練炭屋が現れました。実は、それまでの練炭は球状でした。それ以降、技術の進歩に伴って、輸送や貯蔵に便利な穴あき練炭(北京では通称「蜂巣練炭」)が生まれました。三輪車に乗って「蜂巣練炭」を売り歩く人もいたので、練炭の購入はもっと便利になりました。
小さな練炭屋が胡同の隅々に点在していたため、市民に馴染み深い存在でした。「トン、トン」という練炭作りの音は、冬の到来を告げるものとなりました。現在の北京は、都市開発が進み、胡同住まいの人々はスチームが入るマンションにどんどん引っ越しています。それにともない、練炭屋も姿を消しました。
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