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(GMT+08:00) 2005-04-04 12:54:39    
撫順市の雷鋒記念館

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 「雷鋒記念館」は雷鋒人民解放軍の兵士を記念するため建てられた記念館です。雷鋒は解放軍兵士になってから、まじめに兵役を務めたことはもちろん、老人や子供を助け、質素な生活でためたお金を被災地に寄付したり、現場工事に行って義務労働に参加したりする優秀な若者でした。1962年22歳の若さで亡くなりました。雷鋒は生前、中国の重要な炭鉱の町である、撫順市にある解放軍隊で兵役に服するかたわら数々の善行を記念して、1963年に、撫順市は、「雷鋒記念館」を建てられました。

 「雷鋒記念館」創立四年後、つまり1967年に入館した、張さんは、この30年間の歩みを振返り、「今日になっても毎日、記念館に必ず行くようにしています。いくら見ても飽きないし、入るたびに親しさを感じます。これらの展示品はまさに家の宝物のような存在で、いくら忙しくても時間を作って館内を一回りします。これを毎日の重要課題としてやり続けており、これは今では自分の生活の一部としています」と述べました。

 全国に知られている著名人の記念館で案内役を担当することは、幸運なことです。この仕事を最初に始めた日のことを思い出すと、今も興奮した気持ちを抑えきれない張さんです。「当時、非常に感動し、興奮していました。記念館に入ったとたん親しさを感じました。その場で全力を尽くそうと決心しました。雷鋒さんののことをよく説明し宣伝するだけではなく、彼のようの人になり、雷鋒精神を尊重しながら生きようと決めました」と話しました。

 1963年、雷鋒の優れた足跡に打たれ、毛沢東主席は、「雷鋒同士に学ぼう」というキャンペン??を展開し、全国に呼びかけました。そして、中国では、雷鋒のような人民に尽くす精神を「雷鋒精神」と呼び、今でも大きな影響力を持っています。

 1995年、天津市南開区の要請で、雷鋒記念館は初めて他の都市で展覧会を開き、大きな反響を呼びました。

 今回の経験から、雷鋒精神をより宣伝し、さらに多くの人に雷鋒の足跡を見てもらうため、雷鋒記念館は全国巡回展を始めました。今まで、すでに20あまりの省、市、自治区で開催され、60の都市を回りました。現地の住民に熱く歓迎され、北京市だけでも20万人が見学に来たということです。

 雷鋒記念館は、雷鋒精神を伝播する拠点として、その建設整備は中国共産党と政府に重視されています。1960年代、90年代、そして2002年の三回に渡って増改築を行い、今は、近代的な中国の一流の記念館になっています。ここには毎年、国内だけでなく、海外から数多くの観光客が足を運んでいます。雷鋒精神は、中国だけでなく、海外にも伝わっています。「雷鋒精神とは、確かに指導者や民衆が言ったとおり、永久なもので、いつまでも生きるものだと思います。たとえば、外国人の見学者たちも雷鋒は偉大な人と見ているので、雷鋒は全世界の人々が学ぶモデルの一つではないかと思います。アメリカのウエストポイント・アメリカ陸軍士官学校でも雷鋒は崇拝されており、雷鋒精神は全人類のものだと見られています」と張さんしみじみと話しました。

 雷鋒が亡くなって40年立った現在今、激動時代における雷鋒精神について、

 「雷鋒が成長した50年代から比べると、今の中国は大きく変わっていますが、人民のために奉仕する精神という雷鋒精神は、国家と団体の利益に奉仕する主人公の生活態度が優れている点だと思います。調和の取れた社会を建設するには、もっと雷鋒精神を実践する必要があるのではないでしょうか」と、張さんは、見ています。