吉林省
面積 187,400km2
人口 2,691万人
省都 長春
略称 吉
友好都市 宮城県→吉林省、宮城県仙台市・岩手県金ヶ崎町→長春市、青森県西目屋村→梨樹県葉赫満族郷、山形県山形市・島根県松江市→吉林市、長野県須坂市→四平市、新潟県上越市・鳥取県境港市→琿春市、鳥取県船岡町→大安市
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長白山・天池 | 吉林省は東北三省の真ん中に位置し、南東部は長白山山系の山々が連なり、渓谷や盆地が多く、西北部は松遼平原でなだらかな大地が広がっています。また南東部はロシアと朝鮮民主主義人民共和国と国境を接しています。朝鮮との国境線は約700kmにも及び、中心の長白山から流れ出た東の図們江(豆満トマン江)、西の鴨緑(オウリョク)江が国境になっています。しかし日本海への出口はなく、琿春市の最も南で日本海と15kmほど離れ、その15kmはロシアと朝鮮が国境を接しています。そのため、中国の琿春、ロシアのポシェット、北朝鮮の羅津・先鋒で三角地区を作り、経済開発を促す計画が進んでいました。琿春には新しいビルが建ち、ロシア側にも一部鉄道が敷設され、日本・韓国も投資の視察団を送り込んだりしていましたが、アジア金融危機や各国の調整がうまくいかず、話はいつの間にか聞かなくなってしまいました。
気候的には温帯性気候に属していますが、大陸のため冬の寒さは厳しいです。年間降雨量は300?900mmで、長白山付近は年間一ヶ月以上は雪が降ります。
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図們国境(対面は朝鮮) |
歴史的には、もともとツングース系民族が住む土地でした。漢代に夫余、唐代に渤海、それ以降も遼・金と続く北方系の民族の領土となり、元以降は中央政権の領土に組み込まれ、清代末期に吉林省となりました。旧満州国の時代にも吉林省(現在の吉林省と多少範囲は異なる)引き継がれ、1932年旧満州国がいわゆる独立する際に、長春は旧満州国の国都となり新京と呼ばれました。当時、日本はいわゆる開拓団を送り込み、その数は黒竜江省に次ぐ多かったのです。日本敗戦後は、シベリヤ抑留、残留孤児の悲劇が生まれた場所でもあります。
吉林省には延辺朝鮮族自治州(州都延吉)があり、1952年に延辺朝鮮族自治区になり、1955年に自治州となりました。面積4万3000平方キロ(九州とほぼ同じ面積)、総人口200万人の内、41%の80万人ほどが朝鮮族です。中国全体では180万人ほどの朝鮮族が、東北三省を中心に住んでいますが、最も集中しているのが延辺朝鮮族自治州です。
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集安・将軍墳 | 吉林省は長い間、中国の工業中心地のひとつとして栄えてきました。多くの大中企業があり、特に省都の長春は、中国最大の鉄道車両工場や自動車工場の基地になってきました。国営の長春第一自動車製造廠(現在では中国第一汽車工業公司)は、中国最初の自動車製造工場で、高級自動車「紅旗」・トラック「解放」を生み出したメーカーとして有名です。1980年代に後半にドイツのフォルクスワーゲンと提携して近代化を図ったが、まだ製品を海外に輸出できるほどの成長はしていない。2001年の年末に中国がWTOに加盟したことで、存続の危機に直面した。しかし、2002年6月に天津汽車を傘下に入れ、8月にトヨタと提携をし、大きなかけに出ています。これからが勝負です。
その中で、市場経済の波に飲み込まれた国営企業は、リストラの嵐が吹き荒れ、失業者が増大しています。大中の国営企業が集中している吉林省は特に深刻です。
観光は、東南部の長白山を中心とした一帯に限られ、長白山・集安が最も有名です。集安には、社会の時間で一度は習う好太王の碑(広開土王碑とも呼ぶ)や、日本のキトラ・高松塚古墳に連なる高句麗時代の壁画、ピラミッドのような高句麗時代の陸墓など見所は多い。また、北朝鮮と国境を接しているため、国境も重要な観光スポットになっています。
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