![]( /mmsource/images/2004/09/21/h2.jpg) 今年は、中華人民共和国成立55周年にあたります。55年このかた、中国はずっと自国の実情に見合う発展の道を探る中で紆余曲折の道を歩んできましたが、また、世界に注目される成果をも収めてきました。
1949年10月1日、中華人民共和国成立の式典が北京で盛大に行われ、新中国の創始者毛沢東氏らの第一世代の指導者が、国民を指導して社会主義国家建設の船出をしたのです。
建国初期の建設はきわめて困難で、当時の中国は工業基盤が弱く、農業の生産量も低く、物質がきわめて不足するという状態にありました。
国際的な環境の面では、アメリカを始めとする西側諸国が社会主義の新中国に対して封鎖と抑止の政策を実施したことより、中国はソ連を代表とする社会主義国との往来があるだけでした。また、中国を援助する国もソ連だけでした。1950年代後半、中国とソ連の関係が次第に悪化するに伴って、中国に対するソ連の援助も中断されました。その後の20年間、中国はほとんど対外的に封鎖の状態にあり、自力で国を建設し、国の安全を維持してきました。
建国初期、中国は社会主義国家の建設を目標としたことから、少なくとも20年の間は、ソ連の社会制度と経済のモデルをほぼ全面的に、機械的に取り入れていました。その後、このモデルの弊害が次第に現れ、一時期経済に大きな混乱ももたらされました。それにもかかわらず、 1960年代、1970年代に中国は依然として建設の面で多くの成果を収めました。新興の都市が建設され、人口の平均寿命が延びたほか、原子爆弾の実験やミサイルの製造が成功し、人工衛星が打ち上げられました。また中国の国際的地位も大きく高められました。1970年代末、中国は世界のすべての主要な国と外交関係を樹立し、中国の国際的な環境が大いに改善されました。
1976年、中国の最高指導者毛沢東氏がなくなりました。その後、中国の新たな指導者となったトウ小平氏は、それまでの中国の30年の発展をふりかえり、総括した後、「国際政策の面でこれまでの多くのやり方を改革する必要がある。対外政策の面でより積極的に対外開放を実施する必要がある」と決定しました。
トウ小平氏の国内政策の改革には二つの面があります。その一つは、経済建設を執政党と国家の中心任務とすることです。もう一つは、経済システムを徐々に改め、市場経済の役割を発揮させるためにそれ相応の平核をするということです。
対外関係の面で、トウ小平氏は、積極的かつ能動的に深さと幅という二つの面から、中国の対外開放を拡大し、中国経済の発展に対するすべての有利な経験を学ばなければならないと指摘しました。
1978年の末から今日までの26年来、中国経済は一貫してずっと高度成長を維持し続けています。中国は終に長年来国民生活に影響を及ぼしてきた物資不足の経済状態から抜け出し、物質が相対的に豊かになる段階に入りました。
2003年、中国の指導者の新旧交替が順調に行われ、胡錦濤氏を始めとする新たな世代の中国指導者は共産党の執政力の整備に力を入れ、人を根本とすることを強調し、政府と民衆との繋がりを強化し、国民がより多くの権利と利益を享受できるようにするため努力しています。
この55年間は、中華民族の悠久のな歴史から見れば、短いものですが、新中国にとっては、けっして平坦でない道のりでした。
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