1931年 8月、江西の中央革命根拠地に到着、中共瑞金県委員書記を務める。
1933年 5月、「左」傾路線の攻撃に遭い、職務を解かれ、党内の「最終的で最も厳重な警告」処分を受け、楽安県南村で巡視員を務める。しばらくして、紅軍総政治部秘書長に任命される。
1934年 10月、中央紅軍と共に長征。年末に中共中央秘書長に任命される。
1935年 6月、紅一軍団政治部宣伝部長に任命される。
1937年 8月25日、紅軍が八路軍に改編され、政治部副主任となる。
1938年 1月、八路軍一二九師団の政治委員となり、師団長の劉伯承と共に太行山区の晋キ(北の下に異)豫辺区に抗日根拠地を開く。
1939年 9月、卓琳と結婚、太行山へ戻る。
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