人物編 more
  • 早稲田大学に留学した中国共産党の創設者ーー李大釗

    李大釗は中国共産党の創設を主導した思想家で北京大学の図書館長や教授も務めました。1913年、早稲田大学に入学。日本の社会民衆党の創始者・安部磯雄の影響を受け、マルクス主義に接しました。1918年『毎週評論』を創刊し、「庶民の勝利」などの文章を発表してマルクス主義、ロシア革命を紹介して大きな影響を与えました。北京を拠点とした李大釗は、上海の陳独秀らと共産党設立の準備を進め、コミンテルンとの連携により、1921年に中国共産党を創設しました。

  • 日本に留学した中国共産党の初代総書記ーー陳独秀

    陳独秀は中国共産党成立の過程において、「南陳北李」、つまり陳独秀と李大釗の貢献が人々に広く知れ渡ることになりました。東京高等師範学校速成科を卒業した後、1915年に帰国し、上海で『新青年』を創刊します。「民主」や「科学」といった西洋文明の原理を全面的に取り入れるべきだと主張し、五・四運動期の急進的民主派にもなりました。1920年に上海で共産主義グループを組織し、1921年7月に中国共産党が成立すると、党の総書記に選出されました。

  • 中国共産党の創立を初めて明確に提案した理論家ーー蔡和森

    中国共産党初期の理論家。1919年にフランスへ留学、周恩来らと共産主義運動を始めます。パリでマルクス・レーニン主義を猛勉強するだけではなく、ロシア革命や共産主義に関する書籍を数多く翻訳しました。初めて明確に中国共産党の創立を提案した上で、党の結成に関する理論と原則についても初めて系統的に述べました。1921年に帰国すると、中国共産党最初の政治機関紙《嚮導》の責任者として活躍しました。

会議編 more
  • 「新時代」を迎えた中国共産党第19期中央委員会第1回全体会議

    中国共産党第19期中央委員会第1回全体会議が2017年10月18日から24日にかけて北京で行われました。この党大会では、「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」が今後の中国共産党の指導方針として党規約に書き込まれたほか、最大の注目点は「長年の努力を経て、中国の特色ある社会主義が新時代に入った」と宣言したことです。

  • 活動重点を社会主義近代化建設に移すことを決定した第11期3中全会

    1978年12月18日から22日にかけて北京で開かれた中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議では、鄧小平を核心とする第二世代の中央指導グループが形成され、毛沢東の時代を席巻した「階級闘争」に終止符が打たれ、「経済建設」へ邁進することが決定されました。これは現在までに一貫して追求されている「改革・開放」の幕開けです。この会議は、中国を発展途上の社会主義国家から富強で民主的、文明的な社会主義の近代的国家に変えようとするものでした。

  • 新中国の将来のビジョンが描かれた西柏坡会議

    1949年3月に河北省の西柏坡で開かれた中国共産党第七期中央委員会第二回全体会議では、新中国の将来のビジョンが描かれ、新中国の大きな政治方針が定められました。これにより、中国革命のさらなる発展や全国的な勝利、党の活動の中心の移転、さらに、新民主主義社会から社会主義社会への変換のうえで、政治上、思想上、理論上の準備がなされました。

「七一勲章」受勲者編 more
  • 村民を率いた起業で発展を図る七一勲章の受勲者―バイバイティ・ガン・ウーバイ

    バイバイティ・ガン・ウーバイさんは新疆グルジャ生まれのウイグル族です。彼はテロ勢力、分裂勢力、宗教過激勢力といった「三つの勢力」と断固として戦う模範者で、党支部の整備や党員教育に力を入れ、新疆グルジャ県オンヤル郷ブリカイ村の党支部書記を30年あまり務めていましたが、村ではテロ事件が一つも発生したことはありませんでした。民族団結活動を積極的に展開し、民族団結と進歩のために卓越した貢献をしてきました。

  • 衣服問題解決のために尽くした紡績工場の労働者ーー黄宝妹

    紡績工場で働いていた黄宝妹さんは、1953年に紡績工業部初代の労働模範となりました。その後、7回も上海市、紡績工業部および全国の労働模範ともなりました。そのほか、国際会議に3回出席し、毛沢東主席とは8回も会見しました。1958年、著名な映画監督である謝晋は黄さんをモデルにした映画「黄宝妹」を製作し、黄さんはその中で自分自身を演じ、当時の労働者の間でアイドルとして輝きを放ちました。

  • 初心を守り続ける戦闘英雄ーー郭瑞祥

    河北省魏県出身の郭瑞祥さんは、1937年3月に中国共産党に加入しました。16歳から革命活動に身を投じた郭さんは初心を守り続ける紅軍戦士です。抗日戦争期間、郭さんは相次いで、河北省南部の戦闘や反掃討戦役などに参加し、勇敢に戦いました。解放戦争の時期には危機的な状況の下で、組織の健全化や党の指導の強化に力を入れた結果、危うい局面を挽回しました。定年退職後は、それまでと変わらない質素な生活を続け、終始一人の紅軍戦士・共産党党員としての優れた伝統を守り続けています。

  • 朝鮮戦争の戦闘英雄ーー孫景坤

    孫景坤さんは革命の伝統を受け継いだ戦闘英雄です。1924年に遼寧省丹東市に生まれた、遼瀋戦役、平津戦役、そして湖南省の長沙や海南島を解放する戦いに参加したほか、朝鮮戦争にも身を投じました。退役後はふるさとに戻り、地元の農家を率いて、故郷を大きく発展させました。孫さんは長年、私利私欲を捨てて一心に社会に奉仕する崇高な品格を保つ人間として尊敬を集めています。

  • ムウス砂漠の環境を変え、植樹造林事業に大きく貢献した模範ーー石光銀

    陝西省と内蒙古自治区の境に位置するムウス砂漠の南に生まれた石光銀さんは、小さい頃から砂嵐の被害を受けてきました。1984年、石さんは全国で初めて農民が出資した砂漠整備会社「新興林業牧場」を作り、面積200ヘクタールの砂漠化された土地の整備を請け負いました。現在彼は「会社+農家+拠点」という形で砂漠整備と貧困脱却活動を結びつけ、地元で、牛養殖牧場や飼料加工工場、ヨーロッパアカマツの苗木栽培拠点など、数十の施設を作り出し、約1000世帯の農家がその恩恵を受けています。