<母の日特集>いつまでも「母の心」に背かない——習近平氏と母とのエピソードより

2023-05-14 17:32:46  CRI

 1969年1月、まだ16歳にも満たない習近平氏は、知識青年の一員として荷物を背負い、陝西省北部にある梁家河へと赴きました。中国では、「儿行千里母担忧」(子どもが遠くに行くと母親の心配は絶えない)とよく言われますが、習氏の母親である斉心氏もその思いは同じ。彼女は息子のために裁縫袋をこしらえ、そこに「娘的心(母の心)」と刺しゅうしました。

 「よく働き、よく学び、あらゆることを全うしなさい」。

 夫から言われたこの言葉を生涯の座右の銘とした斉氏は、一つひとつの言動で子どもたちに影響を与えました。彼女は常に質素な生活を送りました。夫の権威や影響力を利用して仕事を変え、家の近くに居続けるようなことを考えることもありませんでした。最も困難な時期にも、彼女は毎月期限通りに党費の納付を続けました。

 習近平氏は、母の期待を忘れることはありません。

 習氏は、陝北省で生産隊に入隊していた際、村の人々から「苦労をいとわない良き青年」と見られていました。また、共産党入党後、最初の赴任先であり、副書記、書記を歴任した河北省の正定県でも、その地を離れてから何年たっても、地元の人々からは「我らの老書記」と親しみを込めて呼ばれています。その後、福建省で働いていた時には、地元の人々はよく習氏を「庶民の省長」と呼んでいました。習氏がそこで総書記となった後、ある村の党支部の書記は彼に向かって親指を立て、「君、いい仕事をしているね」と褒めました。

 2001年に習氏が家族に宛てて書いた一通の手紙に、このように記されています。「私はこの世に生まれてから48年間、両親と共に過ごしてきた。私の両親に対する理解は両親への思いと同じように、長く深くなっている」。

 良き家庭環境の中で育ち、人民の中から歩み出た習氏は、常に人民を心の中の最高の位置に置き、絶えず数億人の人民の生活を改善せんと我を忘れて奮闘し、人民と「母の心」に応え続けています。(張、MI)

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